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「──ていうお話なんだけど、どおかな?」
にこににこと笑顔ふりまき、道行くときはかならず腕を組んでくる愛くるしい少女。
おねだり目、甘い匂い、柔らかい肌。艶のありそうな唇のリップ。くるくるとよく回る指先。紅茶いろの毛先を巻き取っては離して、をくりかえす。爪には透明なマニキュア。意外にも耳にピアスは空けていないあたりが、なんとなく好ましい。いかにも都会の女子高生といった感じだった。日乃宮媛子という少女は天然ぽく、瞳を逸らさない笑顔をしてくる。明るい感じの女の子だった。
目前のテーブルには、漫画のコミックスがある。
ふだんスマホで電子コミックとやらを読む媛子にしては珍しい。藍黒髪の少女・皇月千華音は憮然とした面持ちでそれを手にもとらずに、視線をちらりと投げたのみだ。この斜に構えた冷徹な少女はたとえ、札束を積まれようが、ダイヤモンドを置かれようが、注視したりはしないのだろう。友人にすすめられたタピオカドリンクですら、さも不味そうに飲んだ。とはいえ、少し眉をくもらせたといった程度で貴賓は失わない。容易に他人の好みに迎合しない。枝葉に重い鳥が止まろうが、風が花実をもぎ取ろうが、つねに空に真っ直ぐな一本木。目的のためならば、何人血を流そうが泣いたりはしない。自分の手のひらに釘が立とうが動じない。他人にほだされて、剣の先を引っ込めたりはしない…はずだったのだが。
「なぜ、これを私に?」
捨てにいけ、というの? そう言いたげに、不審なまなざしを差し向ける千華音。おもむろに瞼をあげると、長い睫毛がいっそう美しく跳ねあがる。ううん、そうじゃないよ。柔らかく解きほぐしたような笑みで、さらりと流す媛子。まっすぐ向かう刃があれば、まろやかに収める鞘がある。槍をさらりと防ぐ、ビロードのような盾がある。ふたりのいつもの風景だ。
「わたしは、千華音ちゃんに命をあげるから。命の次に大切なものも、きちんと預かってほしいかなあって。わたしの手にとったものを、千華音ちゃんの指先で見てほしいの。熱を伝えるってそういうことだから」
「媛子のいう『一番大切な人になる』とは、好きなものをすべて同じにすること?」
私たちの友だちごっこはいまだに続いている。
ときには、あの胃の痛くなるような虫唾の走る御観留役にねちねちと嫌みをこぼされながらも、千華音はひたすら我慢していたのだった。肺腑の底まで黒ずんでしまいそうな、こんな不愉快な雑音と空気の都会とも、もうしばらくでおさらばなのだ。この女を始末さえすれば。
御霊鎮の儀まで、あと残すところ三箇月ばかりだった。
残された時間よりも、媛子と出逢ってからのほうがすでに長い。情が湧いてもおかしくはない。だが、そのたびに距離をおいて、言葉で制して、刀の柄を握りしめ、顔を険しくはして、ひたすら自分を抑えてきたのだった。ほんのり甘くて、やさしくて、いい香りがする。頭がくらくらする。儀式には、衰亡いちじるしい我が家の家運がかかっている。栄えある島の名門に仲間入りするには、この儀式に打ち勝つしかないのだ。そうでなければ、私の十五年は無駄になる。たったの数箇月の飴細工のような楽しさで、積み上げてきた十五年の信念と島神への信仰とを、こんなことで裏切ることはできない。胸の内からはみ出しそうになる何かを必死に抑えつけている。
「いっしょに、笑えたり、楽しんだりできるほうがいいよね」
「そう、かしらね」
「そう、なんだよ」
何なのだろう。別にこんな児戯に類した読み物になど微塵も興味がわかない、湧くはずがない。しかし、数百年の因縁のあるあの日乃宮の御神巫女のことだ。人生残り少なと知って形見分けのつもりなのか、それとも油断させる心づもりなのか。べたべたと甘えてくるからと言って、すべてを委ねてはいけない。なにせ宿敵の家の娘だもの。
「これ、借りておいてもいいかしら」
「あげてもいいよ。遠慮しないで。布教用にもう一冊買うことにしてたの」
布教…? 聖書か経典なの、これが? 千華音が一瞬ばかりためらいを浮かび上がらせる。その顔を媛子が上目づかいにじいっと覗きこむ。抱きあげてくれるのを待ち構えている仔猫のような、愛くるしいまなざしで。見つめられたらぜったいに逆らえない可愛さがある。いけない、と思い表紙に目を落とす。漫画の貸し借りが若い娘のあいだで流行っているのだろうか。世間知らずだと思われたくなさに千華音はそっけない態度をつくろってみせる。
「いいえ、あとで返すわ。必ずね」
「そっかあ。じゃあ、しばらくのさよならだね。いい子にしててね」
惜しむように漫画の表紙を撫でなでしつつ。よほど大切なものなのかしら。そんなものを預かって万が一のことがあったら、事だ。大事な文書か暗号かがあって、媛子の実家が奪い返しにくるかもしれない。それとも、たとえば、この娘が現世の享楽惜しさに、死の誓いをひっくり返さないとは限らない。少々、探りをいれておくべきだろう、念押しとして。それは御神巫女の務めなのだから。
「──それで、私がこれを読み終えたら、貴女をさっさと殺してもいいのね」
「うん。それは、わたしのほんとうだから、千華音ちゃん、受け取って」
残酷な最後通牒を渡したのに、ためらいもなく答えをさらりと返す。
喫茶店でうら若き乙女たちがやりとりしていい対話ではないはずだ。月の少女は口角をあげ、勝ち誇ったように笑んでみせる。一日ずつ近づいてくる勝利のために。しかし、ほんのわずかに芽生えた後悔すこしを、いまは気取られぬがために。
泣きわめいたり、未練を言ったりもしないあたりは、さすがにあの島生まれの御神巫女ではある。
私たちのどちらかは十六歳までに一度死ぬ。そして、その先に新しい人生があるのは神に選ばれし強者のみ。真人間として、十六歳からの未来を生き延びるために、生まれ変わるために、あの呪われた儀式をおこなうのだ。それこそが、神代の昔からつづく、島の蛇神さまとの誓約(うけい)なのだ。
【目次】神無月の巫女×姫神の巫女二次創作小説「召しませ、絶愛!」