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幼稚園児の頃、なぜだか、その坂道から向こうは行っちゃいけないよと言われた場所がありました。
呪いの場所だとか、聖域だとか、そういった神秘ではなく。ただ団地と開発された宅地があるだけなのですが、あまりそこのあたりの住人と仲良くするな、という刷り込みだったのでしょう。のちに小学生になって、遊び友達ができた私はその坂道を越えるようにもなり、時にはいたずらが過ぎて自転車で転び、怪我をしたことさえありました。
ふりかえってみれば、そのあたりの地域の子はなんとなく乱暴な子が多かったな、と。だから親は交流するなと戒めたのでしょうか。それとも、親自身がその地域住民に苦手意識があったのか。今となってはよくわかりませんが、けれども、大人になった自分が同じ境地に至ることはあるのです。
かつて通った場所の、なんとなく土地柄がいやで避けてしまいたくなる。
そんなことがなぜだか長じて生じるようになりました。中高生ぐらいの頃は無謀にも、自転車で三時間ぐらいはつっ走ってみせたのに。今は自分の行動範囲を狭めてしまうのです。体力のせいで、時間のせいで、なにか新しいことにぶつかりたくないせいで。こうした身勝手な禁域をつくってしまうことがある。そのいっぽうで新しいルートへ逃げ込みたくなる。
秋の連休日の前半はいきおい予定を立てたものの台風14号のため消化できず、ほぼ三日間おうちに缶詰め状態でした。その反動からか、後半のお彼岸ふくむ三連休は遠出したくもなります。いっそ、夜行バスに飛びのって県外脱出してみようかしら、などと。思ってはみるものの、実行しないのは、やり残したことが日常に多いからです。
三連休の残りを消化するにあたり、時間が空いたので、自転車ですこし遠出をしてみることに。
遠出といっても、どこかお出かけスポットを目指すわけでもない。ただ、ふだんは行きつけない路地裏を走ってみるだけのこと。車が通るのに難儀な通りは自転車で走るにはうってつけ。
路地裏を走るのは、家並みを拝見することも目的だったりします。
この地域は思ったほどの被害はなかったようでした。ただ、山際にいくと、昔の醤油蔵だった古き民家がかなりのこと崩れ落ち、廃墟と化しているのが見えたときは驚きでした。敷地がかなり広く、昔はそれなりの羽振りのよかった商家だったはず。後継ぎがいなかったのでしょうか。白壁づくりに瓦葺きの塀に囲まれたお屋敷で、それなりに管理していれば、地域遺産に認定されてもおかしくはなかったはずです。
しばらく通わないうちに、その場所に見つけない新しい建物ができあがっているものです。
若い世代が引っ越してきて移り住んだのか。しかし、その横には陰気な風を晒したままの空き家が点在していたりもするのです。氷室冴子原作の『なんて素敵にジャパネスク』に出てくる煌姫のように、平安時代の落ちぶれた宮家の姫君が住んでいそうなぐらいの。その昔、この街の首長を出したというお屋敷の近くは、既に無機質な太陽光発電の設置場所になっていて、なんだか景観を損なった気もします。
ここ数年来、絶対に足を向けたくない方面がありました。
過去にいやな思い出があったまま退社してしまった会社があるところ。買い物をするのにも遠回りし、その建物すら見ないようにしていました。朝、痛くなる胃を抱えながら沈うつな気持ちで通勤した日々を思い出してしまうからです。
このたび、久々にその方面を走り抜けましたが。
べつだん、こころになにか楔が入ったという仕儀もなく。穏やかな気持ちでその建物をじっくりりと眺める余裕さえありました。もちろん休日だから、そのオフィスに人がいるわけはないのだけれども。土日休みで完全月給制の契約社員なのに、正社員になることを餌に、昼休みも電話番、もしくは休憩室で先輩事務員に社内のごたごたを聞かされ、あげく土曜日もサービス出勤がある、などと聞かされて、逃げるように辞めた会社でした。思い出すだにはらわたが煮えくり返る、そんな詮無い日々が解消されたのは、今の勤め先がサビ残がないわけではないが、休日出勤を強いたりなどの不当な労働契約違反をしてはいないからなのでしょう。
過去に在阪していたときも、正社員の勤め先は自転車通い。
毎日、仕事と自宅の往復、帰りに食材を買って。そんな毎日の繰り返しで仕事も自宅持ち込みで疲弊していました。今はそれほどでもなくワーク・ライフ・バランスがとれているのです。街をゆったりと眺める余裕さえあります。だから今の通勤ルートは愛おしい。馴染みのおいしいパン屋だってある。
ときおりふっと思うのは。
過去に住んだ街並みのこと。私は学生時代ふくめて十年以上、関西住まいだったのですが。繁華街というのではなく、どこも少し外れの場所でした。最後のマンションは地下鉄駅すぐで便利でしたが、そもそも地下鉄に乗るような職場をそのときは選ばなかったのでどうでもよかったです。最後の場所はとても気に入っていて、大阪市内の複数の自治体の境目に位置する場所だったので、自転車で一時間もかければ、複数の図書館やら古書店やらを回れたり、いろんな下町のお買い得ショップを見つけたりもしました。
こういったガイドブックにないような地域の穴場を、そこに古くから住まないよそ者はどうやって知るのか。
地道に歩いて、走ってしか、知ることしかできないのです。画期のある商店街やら、貧しいものには嬉しい格安のスーパーやら。大阪ですから、まれにホームレスの方も歩いているような、まさに格差を見てしまうような恐ろしさはありましたけれど、夜にはあまりに孤独で原付で走り抜けたこともあるけれども。孤独だった私はやはりあの街を愛していたのでしょう。もう、あんな独り暮らしをしたいのだとは思わないけれども。
では、いまの住まいはどうかといえば。
別に近所とごたごたがあると私は思っているわけではなく、買い物にも交通のアクセスにもなかなか便利ではあり。田舎の空き家にいけば、原始的な風景にひたることもできそうで、それはそれでお気に入りなのです。
かつて私はこの田舎に移るのがとても嫌で。
その理由は、大阪ほど図書館が少なく刺激がない、垢ぬけてはいない、といった他愛もない理由でした。ところが今はどうでしょう。ネットがあるから情報はむしろ多すぎるくらいで、地域の図書館も蔵書はそれなり、そもそも読み切れる時間もなくて、積読本ももう減らそうかという次第。服なんて通販で買えるじゃないか。不自由な街に、文明の乏しい地域に、私の暮らしは馴染んできたのでしょう。
コロナ禍はまだおちついてはいませんが、政府が旅行を後押しするキャンペーンをはじめるとの報もあったようです。
住み慣れた街を、馴染んだ家を、何かよからぬ運命にに奪われる──そんな悲哀よりは、もうこんな場所飽き飽きしたよ、と思いながらもいつも同じ場所に帰る、この生活を私は大切に思いたいのです。
(2022/09/24)
【掲載画像】
岸田劉生 「道路と土手と塀(切通之写生)」(1915年・東京国立近代美術館蔵)