パリ五輪では意外にも日本選手団が大健闘。
全開の東京五輪ほどではないですが、連日、メダル獲得の報道がよく届いています。はじまる前は通常のテレビ番組がなくなって嫌だなと思っていたりもしたのですが、オリンピックでつぶれるならと放送時間帯を気にせずに好きなことができてよかったともいえますね。
日本だけに限らないのでしょうが、前回金メダル獲得した選手には連覇を、銅や銀には金を、入賞者にはメダルを、という要求は高くなっていくものです。マスコミがそれを煽るし、選手もスポンサーがいるのでそれに応えなくてはならない。
今回の五輪では、柔道で阿部兄妹の連覇が期待されていました。
しかし兄の阿部一二三選手は達成したものの、妹の詩選手は二回戦で逆転負けを喫してしまい、本人が呆然自失となったあと号泣する映像が物議をかもした模様。
NHKのファミリーヒストリーという番組で、この阿部兄妹の家系が紹介されていましたが。詩選手は以前、大学進学時に独り暮らしをはじめたところメンタル不安になって、母親が駆けつけたことがあったそうです。24歳なのにというけれどもまだ学生に近い年齢ですし。誰もが大谷翔平選手みたいにポーカーフェイスで堂々としていられるわけでもありません。
どんな偉大な選手でも、脆さはあります。
イチロー選手でも若い頃、高校時代の恩師に電話を入れていた、とも聞きます。
詩選手は試合終了間際まで技ありを先取してリード。
逃げ切ってもよかったのですが、一本勝ちにこだわり続けて攻めていたところを足をすくわれて、一本勝ちを奪われてしまったということです。勝負の世界は一秒先までわからない。他の競技でも日本が大逆転勝ちを収めたことはいくらでもあるのですから。
アスリートの号泣で思い出すのは、レスリングの吉田沙保里選手。
世界大会16連覇、「霊長類最強女子」の異名をもつ彼女も4連覇をめざしたリオ五輪では銀メダルに。その瞬間、ごめんなさいと激しく泣き洩らした映像が流れましたよね。
スケボーなどのマイナー競技では飄々とまだ中学生ぐらいの若い子たちがメダルをかっさらっていきますが、メジャー競技ほど注目されないせいか話題になりません。それだけプレッシャーも少ないのでしょう。
負けた選手やチームに対して野次を飛ばす、さげずむ風潮はどこからくるのでしょうか。
たしかに彼らは日本国民の代表で品位ある振る舞いをすべきではありますが、感情を表に出さない冷静沈着さばかりビジネスライクに求められるのは違和感があります。水泳の北島康介選手も勝ったときにチョー気持ちいい!と口にしましたが、それぐらいの感情の爆発があるぐらいでないと試合に勝てないのかもしれません。
別にアスリートが勝とうが負けようが、自分の人生がよくなるわけでも悪くなるわけでもないのです。
ただ憂さ晴らしの手段にならなかっただけ、それだけなのでしょう。競技なり、試験なり、あるいは仕事上で、血道をあげて取り組んだのに結果がかんばしくなかった、そうした悔しさのために涙を流したことがない人でないと、この感情は理解できない。
競技者としての人生は短く、長くても40歳手前で引退することがほとんどです。そのあとの彼らには第二の人生がはじまりますが、尋常ではないストレスを負い、また肉体を酷使しながら戦ってきたひずみが、その後に訪れることもありうるのです。とくに女性アスリートの場合は、負けるんならさっさと引退して子どもを産めばよかったのに、みたいなハラスメントを投げかけられることも多いでしょう。
勝ち馬にのりたいときはおだてあげ天才ともてはやすが、落ち目になると一般人以下の存在であるかのように叩き落す。これはアスリートではなく、クリエイターなどの推し活全般にいえるのかもしれません。
アスリートが泣いたっていいじゃないか。
数年間、この日の舞台のためにがんばってきた自分の不甲斐なさを恥じて落とす号泣を、戦っていない私たちが責められるわけがないのです。
それにしても今回のパリ五輪、不穏な開会式やずぶ濡れ船上行進、食事の不備や窃盗被害など、選手のメンタル維持が厳しい状況におかれていたにも関わらず、皆さんよくがんばっていらっしゃるのではないだろうかと。東京五輪をコロナ禍中で開催を反対していた私でさえ、憧れの舞台に立った選手たち、あるいは選考洩れで裏方に回っていた補佐役の方々には頭が下がる思いです。
30代にして切符をつかんで初出場にして金メダルに輝けた角田選手や、誤審に憤懣やるかたなしながらも敗者復活をとげて銅メダルをもぎ取った永山選手、そのほか怪我をおしたり、リーダー格を失っても挑戦したチームなど、ドラマにあふれた大会になっているのは好ましいことではないでしょうか。
(2024.08.05)
全開の東京五輪ほどではないですが、連日、メダル獲得の報道がよく届いています。はじまる前は通常のテレビ番組がなくなって嫌だなと思っていたりもしたのですが、オリンピックでつぶれるならと放送時間帯を気にせずに好きなことができてよかったともいえますね。
日本だけに限らないのでしょうが、前回金メダル獲得した選手には連覇を、銅や銀には金を、入賞者にはメダルを、という要求は高くなっていくものです。マスコミがそれを煽るし、選手もスポンサーがいるのでそれに応えなくてはならない。
今回の五輪では、柔道で阿部兄妹の連覇が期待されていました。
しかし兄の阿部一二三選手は達成したものの、妹の詩選手は二回戦で逆転負けを喫してしまい、本人が呆然自失となったあと号泣する映像が物議をかもした模様。
NHKのファミリーヒストリーという番組で、この阿部兄妹の家系が紹介されていましたが。詩選手は以前、大学進学時に独り暮らしをはじめたところメンタル不安になって、母親が駆けつけたことがあったそうです。24歳なのにというけれどもまだ学生に近い年齢ですし。誰もが大谷翔平選手みたいにポーカーフェイスで堂々としていられるわけでもありません。
どんな偉大な選手でも、脆さはあります。
イチロー選手でも若い頃、高校時代の恩師に電話を入れていた、とも聞きます。
詩選手は試合終了間際まで技ありを先取してリード。
逃げ切ってもよかったのですが、一本勝ちにこだわり続けて攻めていたところを足をすくわれて、一本勝ちを奪われてしまったということです。勝負の世界は一秒先までわからない。他の競技でも日本が大逆転勝ちを収めたことはいくらでもあるのですから。
アスリートの号泣で思い出すのは、レスリングの吉田沙保里選手。
世界大会16連覇、「霊長類最強女子」の異名をもつ彼女も4連覇をめざしたリオ五輪では銀メダルに。その瞬間、ごめんなさいと激しく泣き洩らした映像が流れましたよね。
スケボーなどのマイナー競技では飄々とまだ中学生ぐらいの若い子たちがメダルをかっさらっていきますが、メジャー競技ほど注目されないせいか話題になりません。それだけプレッシャーも少ないのでしょう。
負けた選手やチームに対して野次を飛ばす、さげずむ風潮はどこからくるのでしょうか。
たしかに彼らは日本国民の代表で品位ある振る舞いをすべきではありますが、感情を表に出さない冷静沈着さばかりビジネスライクに求められるのは違和感があります。水泳の北島康介選手も勝ったときにチョー気持ちいい!と口にしましたが、それぐらいの感情の爆発があるぐらいでないと試合に勝てないのかもしれません。
別にアスリートが勝とうが負けようが、自分の人生がよくなるわけでも悪くなるわけでもないのです。
ただ憂さ晴らしの手段にならなかっただけ、それだけなのでしょう。競技なり、試験なり、あるいは仕事上で、血道をあげて取り組んだのに結果がかんばしくなかった、そうした悔しさのために涙を流したことがない人でないと、この感情は理解できない。
競技者としての人生は短く、長くても40歳手前で引退することがほとんどです。そのあとの彼らには第二の人生がはじまりますが、尋常ではないストレスを負い、また肉体を酷使しながら戦ってきたひずみが、その後に訪れることもありうるのです。とくに女性アスリートの場合は、負けるんならさっさと引退して子どもを産めばよかったのに、みたいなハラスメントを投げかけられることも多いでしょう。
勝ち馬にのりたいときはおだてあげ天才ともてはやすが、落ち目になると一般人以下の存在であるかのように叩き落す。これはアスリートではなく、クリエイターなどの推し活全般にいえるのかもしれません。
アスリートが泣いたっていいじゃないか。
数年間、この日の舞台のためにがんばってきた自分の不甲斐なさを恥じて落とす号泣を、戦っていない私たちが責められるわけがないのです。
それにしても今回のパリ五輪、不穏な開会式やずぶ濡れ船上行進、食事の不備や窃盗被害など、選手のメンタル維持が厳しい状況におかれていたにも関わらず、皆さんよくがんばっていらっしゃるのではないだろうかと。東京五輪をコロナ禍中で開催を反対していた私でさえ、憧れの舞台に立った選手たち、あるいは選考洩れで裏方に回っていた補佐役の方々には頭が下がる思いです。
30代にして切符をつかんで初出場にして金メダルに輝けた角田選手や、誤審に憤懣やるかたなしながらも敗者復活をとげて銅メダルをもぎ取った永山選手、そのほか怪我をおしたり、リーダー格を失っても挑戦したチームなど、ドラマにあふれた大会になっているのは好ましいことではないでしょうか。
(2024.08.05)