二次か一次かを問わず、趣味とは申せ、創作物を待たせながら自己語りばかりするのはずるいなと思いつつ、手前勝手に今日も二次創作論と称して記事を発表します。
二次創作デビューをする平均年齢はどれくらいなのでしょうか。
私は子どもの頃にアニメ雑誌にネタイラストを投稿したことはあるけれども、れっきとした二次創作物として意識して発表したのは、拙ブログを開く少し前になります。
つまりはブログに載せる前に初書きの作品があるにはあるのですが。
あまりに稚拙なのと、なかなか特殊な作風だったので、あえてここでは申し上げないことにします。
拙ブログはもともと神無月の巫女という作品そのほかの二次創作物やレビューを発表する場として、2006年に開設しています。今年2022年の秋には16年目を迎える予定。
神無月の巫女という作品に出会ったのが2004年12月頃だったはず。
当時の私は、大学院を修了したあと、公立図書館での非常勤職員で糊口をしのぎつつ、大学の研究紀要へ論文を発表しているような、いわば無頼の身の上でした。博士課程に進学しようとか、大学の非常勤講師になろうとか、そういった進路の選択は経済的事情でありえない。ただ家に帰ったら英語の論文を読んで要約をまとめ、光熱費をケチりながら日々暮らしている水呑み貧困研究者の卵。当時、大変な状況だった実家を頼ることもできないのです。奨学金の返済も迫っていました。
私があのアニメにハマり、二次創作にもハマったのはその翌年。
ネットで二次創作物を漁り、創作の面白さに目覚めたせいです。文章を書くのは論文書きで慣れっこでした。公式が発表してない作品の時系列のスキマやら、ありえないもしもの物語を編み出すのは、ひじょうに面白い作業。それまで小説ひとつ書いたことも、そもそも文学を嗜んだこともない人間が、一気にハマってしまったわけです。
それから2020年あたりまで、マイペースではありますが、仕事を転々としつつ、住所を変えつつ、細々とブログ上で発表しつづけました。
現在はほぼ新作を発表することはなく、2010年代に下書きしたものを手入れして順次時間があれば載せているわけです。性懲りもなく。ときには説教がましい記事を乱発しながら。
博士課程や修士課程卒の二次創作者がいるのかどうか、私は交流したことがないのでわかりかねますが。
20代後半に二次創作デビューしたという意味では、かなり遅まきのほうではないかと自認しています。いえ、けっして褒められたものではなく、よくもまあ、そんな年齢で児戯に類したこの世界に足をつっこんだものだと呆れている次第。当時交流していたファン活動の先輩格サイト運営者さんは、下手したら私より若い方ばかりだったのではないでしょうか。
しかし、学歴はともかくも。
二次創作活動と研究をまとめて発表する作業は、同じくヲタク気質のなせる業。私にもっと行動力があれば二次創作ではなく、自分の研究成果を自費出版するなりしてコミケなどで売りさばいていたかもしれません。そんなことしたって誰も手にしないだろうけれども。というか、そんな資金もないのだけれども。
私にとって、二次創作作業は、論文が認められなかった日々の空白を埋めるもの。
今から分析すると、そうではないかと思えるのです。
ずるい言い方をすれば、ほんらいはいじらしくも敬虔な布教者としてあるべきところを、私はその作品の信者であるふりをして、理解者であることを口はぼったく公言して、自分の人生の名誉回復を図っていたのです。それは、果たして、その作品を愛する方々にとっての、誠実なファン活動だったといえるのでしょうか。原作ジャンルが伝説化することを望み、それを箔付けすることによって、何かを成し遂げた気になっていた私は、真実、好ましいファンの一人だったのでしょうか。たまに作品展開に毒づき、二次創作で自分が書きかえてやろうぞなどと大それた意識を抱いていた私は、公式にとりましても煙たい存在になりえたはずです。
けっして私の生業になりえなかった文章を日々書き続けること。
論文を量産できず、完成度を目指すあまりに締切りに遅れ、ニッチな研究テーマだったがために就職口がなく、かつ、私の人嫌いの性格も災いして、その鬱屈を晴らすために代わりにおこなった作業──それが二次創作というまたとない、誰にも邪魔されない趣味でした。
ですから、私は二次創作を楽しみながらも、どこかこの作業を別の自分が小馬鹿にしてもいるのを感じていました。お前、そんなことをやりつづけて何になるのか? 人生の浪費じゃないのか? そう思いつつも私はやめることができませんでした。私が馬鹿にしているギャンブラーやゲーマーたちと同様に、私は二次創作沼から脱け出せていません。
二次創作物に対して、ピクシブやらツイッターやらで宣伝して人集めしたいと思わなくなったのも、集客して承認を得たいと思わないのも、すべては研究者の卵時代のスタンスにあります。
研究論文は、特に文系の、それも美学や美術史などの論文は、けっして多くの陽の目を見ないものです。
誰にも分りやすい言葉では書かないもの、それが学術論文なのです。科学論文や社会派事象を扱ったものではないので、一般人は誰も読まず、その雑誌の存在すら知りえません。ただ、ただ、一部の狭い専門家たちが権威づけている界隈で、あいつはいい論文を書く、いい着眼点をもっていると評価される。頭のいい人たちの仲間入りをするために、小難しいカタカナを乱発して教養ぶったふりをする。そうしなければ認めれない。そんな世界でした。学術というものがそういうものだからです。
論文がしっかりとした書籍になって実績にできる者は限られています。
本になるというのは、出版社にとっては利益があること、公益性があることを意味します。権威として認められること、その一方で読みやすいものであること。この二面性は実にアンビバレント。さて、私が書いた、それが英語での論文だったにせよ、いったい日本人の誰がそれを時間をかけて読もうとなさるのか。当時の私はそんな隘路に落ち込んでいました。論文の抜刷などを渡しても、最後まで読んで感想を聞かせてくれる人などほとんどいないのです。研究テーマがかぶらない分野の論文なんぞ読んでる暇がないから。
二次創作物ならば、すくなくとも原作のネームバリューがあれば、誰が書いたにせよ、目通ししてくれるのです。読んでくれる人がひとりでもいること、それがネットの向こうでわかりやすく実体を持った人間であったこと。これは非常な驚きでした。
楽しかったです、面白かったです。こんな展開はどうですか、などのアドバイス。
たったそれだけのコメントでも、それは自作の論文にはなかった反応でした。のちにお返事がめんどうになってコメント欄は閉じてしまいましたが。自分の書いたものに明確に読者というものが存在していることをはじめて認識したわけです。
小中学生のなにがしかの作文コンクールでも、ポスターの入選でも、あなたのアレ良かったね、がんばってね、また読ませてね、なんて言ってくれるひとはほとんどいません。
つくったひとが誰それかとわかると、その作品に作者の人格が付随してしまうので、顧みられなくなるのです。
でも二次創作は違いました。
公式の、商業作家の知名度と設定をお借りしただけあって、たとえ半匿名のうさんくさいブロガーの自作であってもとりあえず読んどいてやるかで、来てくれるものです。論文と違って、ネットさえ繋げたら、そこには誰でもアクセスできるのだから。
この魔力にとり付かれたまま十数年、ときには仕事人としてのキャリア形成を犠牲にしても、ひたすら二次創作に没頭し、気が付いたときにはすでに四十を過ぎていました。
もし人生をやり直すとしたら、同じように作品に出会って、二次創作に時間を費やして、そんな日々をもういちど送りたいかといえば、半分はノーです。
でも、書き残し、書き損じの二次創作物があったから、公式から新作発表があるたび妄想が再燃してしまったから、だからこれまでも絶望に見舞われながらも生き残れた。大げさですが、こんなふうにまとめてしまえるのです。
あと数年も続けたら、およそ20年も極めてしまった趣味の一つになります。
ライフワークなんて言い方はヘンだけれども、自分の好きな作品につき、いまだ研究家根性を発揮して分析してしまったりする困った癖も健在です。どんな下手くそな、自己流の、ささいなことでも、長らくやりつづければ、それはその人の人生の一部です。けっしてそれがなかったならば、あなたという個の人格が輝くことはなかったような。
二次創作者の皆さん、あなたの二次創作ライフのはじまりにはどんな背景があったのでしょうか。
それを突き詰めることで、単に誰かに認められたい! うまくなりたい! で創作欲を持て余してくすぶらせてしまわないで、二次創作という趣味の時間とどう付き合うかが見えてくるのではないでしょうか。
願うならば、ずっと死ぬまで現役で二次創作ができること、常にワクワクして取り組めること、それは二次創作者にとっての幸せとなりうるのです。情熱は今は絶えても、いつかは取り戻せるものです。
(2022/07/17)