陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「夏の花」(三十一)

2008-10-06 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

姫子が用意した線香花火の量はもう尽きかけていた。残された花火が少なくなるにつれて、姫子は慎重にえらんでいた。

私はこの時間がとぎれるのを恐れていた。炎の花がしぼんだあとに、襲ってくる寂寥感と、身をくるむ夜の深さ。花火が楽しければ楽しいほど、その喪失は倍返しになってやってくる。花火が終わるのが悲しいのではない。この想い出が消えてしまうのがおそろしく恐いのだった。その花火が終われば、自分はどうしたらいいのだろうかと。
もしかしたら、いま横で笑っている姫子も、その花火すらも、夢まぼろしなのかもしれなかった。ふとそんな悲しい終わりの予感が頭をよぎる。

くだんの蒼い花火があらわれてこないことなど、とっくに忘れていた。

「もう、これが最後の一本だね…」

姫子がしんみりと言った言葉が、気づきを蘇らせた。私が下げた花火の先に,姫子のライターが近づいて、ぽっと焔を吸い寄せた。長さを減らしながら、散っていく最後の炎は白っぽかった。私は落胆のいろを隠せなかった。

「ああ、…待って。終わらないで…」

しぼみそうになる花火を惜しんでつぶやくと、姫子はてのひらで炎のしずくをうけとっていた。
ふしぎと火傷はしていない。消え口はおだやかで、てのひらに届くまでに、炎の先は人肌の熱をもった光りに変わっていた。咲き終わった花火は、灰になったのではなく、少女のてのひらに吸いこまれていく。
落ちた炎の花びらをあつめて、願いをこめるように握りしめると、ぱっと開いた。そのてのひらからは、蜜のように甘く輝く火の粉が花のかたちをして、ふんわりと広がった。
ひと花ひと花、闇にしおれた炎の花が、姫子の手のなかでよみがえっていく。

魔術師が呪文をとなえて隠したてのひらから、咲き出でた花のように、最後にその花は生まれていた。ぽぅっとうっすら闇にほてったように輝いた青い薔薇が。

「千歌音ちゃん、ほら見て!青い花火だよ」
「とても、きれいね。姫子が咲かせた青い花火、とてもきれい…」

青いといっても、ある日本の飲料メーカーが開発した藤いろに近い、色褪せた青薔薇ではない。またLEDライトのみせる生気のない凍った青い光りでもなかった。酸素をたっぷり含んで高温で燃える、ガス火の青い炎に似ている。その青い薔薇は花びらの端をなびかせながら、海のように翠や紫の色班をはらんで輝いている。やわらかい海の青だった。

その花はいつでたっても闇のなかにしぼまなかった。姫子のてのひらのなかで護られて、咲きつづけていた。あまりに美しい奇跡に目をうばわれた私は、すでに消えた線香花火の柄が、手から滑り落ちたことにすら気づかなかった。



この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「夏の花」(三十二) | TOP | 「夏の花」(三〇) »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女