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お母さんの仕事 27

2020-03-17 14:30:00 | 日記
陽祐が1歳2~3か月のとき、
浜田山から東京港区港南荘に引っ越した
港南荘はお父さんの仕事場の官舎
4階建ての2階、201号室
2LDKのアパートは浜田山のアパートに比べたら狭いけど十分だった。
楽しかったなぁ

そのころからお母さんは仕事に復帰することを考えていた。
陽祐の預け先の保育園を探し回ったけどなかなか見つからず
苦労したっけ
保育園に入園するには
トイレトレーニングが済んでいること




お母さんは専業主婦にはなりたくなかった
私はこれだけのスキルがあるのに働かないという選択はない
陽祐はいずれ私から離れて自分の世界、社会を持つだろう
そのときに私には何も残らないのでは陽祐のただのお荷物になってしまう。
だから今、働いて自分のアイデンティティをちゃんと確立しておかなければいけない
そんなふうに考えてしまった。

時期尚早だった・・ 
やっと歩き始めて陽祐に
一番かわいいときだったのに
我慢をさせてしまった












それでもアパートから地下鉄で一駅、そこから自転車で20分のところに個人でやっている保育園を見つけ
そこに入園させた。
泣き叫ぶ陽祐に後ろ髪をひかれながら私も泣きながら仕事場に向かう
でも会社に1歩入ると仕事モードに入れた
その感覚が快感だった そう!私は主婦も子育ても仕事もできる!

仕事が終わって保育園に迎えに行くと
泣いて私に駆け寄ってきた陽祐
今でも当時の夢を見る
陽祐が泣いている 早く迎えに行かなくちゃ 仕事を終わらせて駅へ向かうが電車がなかなか来ない
そんな夢





あの時、無理をして家から遠い保育園に入れて
仕事をして何の意味があったのだろう
陽祐をもっと抱きしめて育てればよかった
もっともっと優しい言葉をかけてあげればよかった
それはこんな関係になるまえから思っていた
だから陽祐の子供たちはうんと可愛がろうと思っていた
そうは問屋が卸さない 許されないのだね




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