今年は日本語の生徒の出入りが激しい年であった。
つまり、新たに始める人も多ければ、やめる人も多かったということである。
初めて日本語を習い始めようという人は、大抵の場合、目を輝かせてやってくる。
一体、どんな言語なのだろう。日本文化が少しでも理解できるようになるだろうか。
とにかく生徒達の期待値はとてつもなく大きい。
でも、大多数の人は日本語の基礎の基礎すら分からずに辞めてしまう。
理由はいろいろあると思う。金銭的理由、仕事上の忙しさ、日本語の難しさ、学校の忙しさ等々。
これらの理由はどれも最もらしい理由であることは確かである。
でも、最大の理由は本人の日本語の勉強に対する情熱が薄れたということだと思う。なぜなら、情熱さえあれば、どれも乗り越えられるからである。
僕はここでこれらの理由で日本語の勉強を辞めてしまう人を批判したい訳ではない。
なぜなら、僕も何かに対して情熱を失ってしまう一人の人間であり、人のことを言えた身分ではないからである。
習い事でも、仕事でも、恋愛でも、結婚でも、本人が情熱を失ったら、他人が何やかんや言っても無駄である。
だから、僕は「辞めないでもっと続けてみたら」とか生徒に言ったことはない。
僕の大学時代の同級生が言っていた「来る者は拒まず、去る者は追わず」という姿勢で、常に対応しようと努めている。
時々、「一旦休んで、問題が解決したら、また始めたい」と言ってくる生徒もいるが、そう言って戻ってきた生徒はいない。
そんなものである。
人間の情熱というのは一旦冷えたら、再び燃やすのは難しいものなのだ。
先日亡くなったアップル社のスティーブ・ジョブス氏も言っていた。
「仕事をする上で、一番大事なのは仕事に対する情熱である」
そう、情熱さえ持って努力し続けていれば、大抵の事は乗り越えられる。
逆に、すべての物事に対して情熱を失ってしまったら、それはもう人間とは言えず、ただのもぬけの殻である。形こそ人であっても、そこに魂は宿っていない。
ここ数年、「心が折れた」という表現が巷で流行していると言う。そういう世相なのか、それともそれだけ人の心が弱くなってきているのか。
僕も心を折ることなく、情熱を持って生きていけたらなと思う。
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熱心な学生さんというのは素晴らしいですよね。
教えている方もやる気が出ますね。