ここのところポルトガル語を話すのが怖い。言葉が出てこない。話すことすべてが文法的に間違っている気がする。だから、余計話したくなる。引っ込み思案になる。この悪循環の繰り返し。
実は7年ちょっとのブラジル生活で、こういう時期は何度もあった。自分が上手くなったかなと思う時期が来ると、しばらくして何をやってもうまくいかず、自分のポルトガル語がすごい下手になった時期が来る。
このサイクルを繰り返しながらも、実は少しずつ壁を突き抜けていっているんだと信じたいが実際にはどうなんだろうか?語学の勉強には終わりがないし、どこで自分に満足するかは決めにくい。いくらやってもそれでいいということはない。
はっきり言えば、ポルトガル語を読むのも話すのも聞くのも書くのも、すべてが面倒くさい状態なのだと思う。すごくいい加減に読んで、話して、聞いて、書いている。ある意味日本語に飢えているのかもしれない。
日常の95%はポルトガル語で話している。それを7年も続けているわけだから、精神的ストレスはたまる。日本人の価値観を持った人と日本語で話したいという欲求はどうしても強くなる。頭の中で文を組み立てずに、何気に母語を話せると言うのはとても贅沢極まりないことである。
次から次へと出てくる知らない語彙。年のせいで記憶力も悪くなったのか、何度も同じ単語を辞書で調べていたりする。自己嫌悪に陥るよ。
実は7年ちょっとのブラジル生活で、こういう時期は何度もあった。自分が上手くなったかなと思う時期が来ると、しばらくして何をやってもうまくいかず、自分のポルトガル語がすごい下手になった時期が来る。
このサイクルを繰り返しながらも、実は少しずつ壁を突き抜けていっているんだと信じたいが実際にはどうなんだろうか?語学の勉強には終わりがないし、どこで自分に満足するかは決めにくい。いくらやってもそれでいいということはない。
はっきり言えば、ポルトガル語を読むのも話すのも聞くのも書くのも、すべてが面倒くさい状態なのだと思う。すごくいい加減に読んで、話して、聞いて、書いている。ある意味日本語に飢えているのかもしれない。
日常の95%はポルトガル語で話している。それを7年も続けているわけだから、精神的ストレスはたまる。日本人の価値観を持った人と日本語で話したいという欲求はどうしても強くなる。頭の中で文を組み立てずに、何気に母語を話せると言うのはとても贅沢極まりないことである。
次から次へと出てくる知らない語彙。年のせいで記憶力も悪くなったのか、何度も同じ単語を辞書で調べていたりする。自己嫌悪に陥るよ。