日本語教師ブラジル奮闘記

ブラジル生活裏話

ゲームのテストプレーヤーとしてのアルバイト

2011年02月04日 13時25分40秒 | 日本事情

 

僕が大学4年生の時も就職氷河期であった。


早々に就職活動を諦め、卒業後に朝日奨学生として新聞を配りながら中国語の語学学校に1年ほど通った。

 

その後に台湾の大学に2ヶ月留学し、日本帰国後だったかと記憶している。

 

僕はソニーエンターテイメントという会社で、プレイステーションのゲームソフトのテストプレイヤーのアルバイトの求人募集広告を見つけ、早速応募した。

 

当時は就職氷河期だったからなのか、アルバイトなのに集団面接みたいのがあった。さすがに国立大卒の学生はいなかったが、日大、法政大、東洋大など都内の私立大学を卒業したばかりの人が、スーツで面接を受けに来ていた。

 

面接官に一人ずつ志望動機まで聞かれ、みんなそれぞれもっともらしい事を答えていた。

 

僕は何とか合格した。

 

確か会社は青山かなんかの非常にお洒落な場所にあった。時給900円。勤務時間は午前9時から午後6時くらいまで。与えられた担当のゲームをひたすらプレーする。

 

僕は中学・高校時代と親からゲームを禁止され、その反動からか大学1・2年はゲームとアルバイトしかしない暗い青春時代を過ごした。

 

しかし、ゲームにハマったのも2,3年位で、大学を卒業して1年以上経過していたその当時は、正直ゲームに対する情熱はほとんどなかった。

 

しかも、好きではないタイプのゲームをプレーさせられ、テストということでバグを見つけて報告することが仕事であった。

 

リーダーのもとにチームに別れて、バグを報告するのだが、僕はどんなにやってもバグを見つけることができなかった。

 

周囲は本当にゲームオタクばかりのような人たちに囲まれ、バグも見つけられない僕は無用感を味わった。

 

アルバイトを始めて2ヶ月目が終わろうかとする頃、僕も含めて何人かの新規のアルバイトさんが事務室に招集された。

 

「申し訳ないが、アルバイトの契約を延長できない」

 

僕は社員の方にそう告げられた。ショックではなかった。

 

でも、その時、僕は「一生懸命仕事をやっていても、アルバイトであってもクビになるんだな」と改めて気付かされた。

 

同時に、こんな仕事をずっと続けるのは不可能だとも思った。社会人としても、職業的にも、何のスキルも身につかない単純労働だったからである。

 

僕がこの体験を日本語の授業で生徒達に話すと、生徒達は一様にゲームをしてお金をもらえるなんて夢のような仕事じゃないかという反応を示す。まあ、若い時に1年くらいするのは経験としていいかもしれない。でも、これを一生続けることはできない。

 

社会において単純労働は必要である。誰かがする必要がある。

 

でも、もしあなたが与えられた1度きりの人生において、「何かやってやろう」という大志を持っているのであれば、何かの商品やサービスを創造したり、人間・社会と関わって行く仕事をすべきではないかと思う。

 

ただ、「人生において無駄な経験など1つもない」とは思う。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿