前のBOX持ってるからまた聴き返してみよう
— Kuro-Mama(Yukie Kurikawa) (@yukie_nagoya) 2019年1月6日 - 00:00
(╹◡╹)♡
「切実な思いが生んだ書物」。養老猛司評。谷川ゆに『「あの世」と「この世」のあいだ』。 pic.twitter.com/8tWC0iouUu
— 喜山 荘一 (@soichi_manyu) 2019年1月6日 - 07:02
録画していたNHKの「新日本風土記」の「有明海」だったかで、有明海にある「沖ノ島」(佐賀県)というのを知った。潮が満ちてきたらこの島は見えなくなるという。伝説や祭りもある。琵琶湖にも福岡にもというように「沖ノ島」は各地にあるようだ。 twitter.com/kotobano2/stat…
— nishiyan (@kotobano2) 2018年11月14日 - 12:23
つまり、いくら未来予測しても全貌を捉えうるようになるのは、それが〈現在化〉した以後のことである。だから、未来像を正確に得ようと焦っても仕方がない。土台無理なことだと思う。ただ、ここに書かれているように未来へ突き進むベクトルのぼんやりした像は描くことができるだろう。
— nishiyan (@kotobano2) 2019年1月5日 - 14:43
そして、〈現在〉を振り返れば、未来化したあるシステム像を得ることができるように思う。文明度という概念を用いれば、明治近代以前は大地に沿った平坦な曲線だったのが、近代以降指数関数的に急激な文明度の上昇を遂げている。今後も文明度の急上昇は続くはずだが、そして、それに対して私たちは徐々
— nishiyan (@kotobano2) 2019年1月5日 - 14:44
「島は、現代日本人が失ってしまった、人と人、あるいは人と自然との豊かなつながりをいまだ保っており、死者や神々への信仰はその間に満ち満ちている。」(谷川ゆに『「あの世」と「この世」のいあいだ』)shinchosha.co.jp/book/610794/
— 喜山 荘一 (@soichi_manyu) 2018年12月18日 - 07:40
たかちゃん、「インディアンの言葉」を読む。 416・「浜下り」 (松本孝幸さんより)matumoto-t.blue.coocan.jp/indian416.html
— nishiyan (@kotobano2) 2019年1月4日 - 14:56
「夏目踊りは、「浜下り」という祖霊を迎える行事の一部である。今ではかなり簡略化されているが、郷土… twitter.com/i/web/status/1…
現在のわたしたちの割と合理的な考えの視線によれば、昔のたくさんの年中行事はとても煩雑なものと感じられるはずである。それも社会構造の変貌と〈信〉の薄れとともに次第に「簡略化」されてきたのだろう。
— nishiyan (@kotobano2) 2019年1月4日 - 14:58
しかし、行事の始まりにおいてはその具体的な過程の一つ一つにこうしないとまずいという世界に対する〈信〉があったのだと思われる。
— nishiyan (@kotobano2) 2019年1月4日 - 14:59
「貝読に明け暮れて」与論島クオリア manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2018/12/…
— 喜山 荘一 (@soichi_manyu) 2018年12月31日 - 20:52
その昔「INU」という名で音楽活動をしていた町田康氏が、南日本新聞にコラムを書いている。
— Kuro-Mama(Yukie Kurikawa) (@yukie_nagoya) 2019年1月6日 - 17:25
記事を読む側では、FMラヂオでは久し振りに聴く渋谷陽一氏が、自身の番組でブルース・スプリングスティーンの曲の歌詞を紹介する朗読が聴こえる。… twitter.com/i/web/status/1…