この記述を見ると、当時小吉郎と名乗っていた久武は、一時期赤山家に何らかの形で籍があったということでしょうか?
— 粒山 樹 (@ishin_saigou) 2019年2月24日 - 00:13
赤山家と言えば、『西郷どん』では沢村一樹さんが演じた赤山靱負が有名ですが、靱負は久武の実兄です。(続)
#西郷隆盛 #桂久武
『鹿児島県史料 鎌田正純日記』には、薩摩藩の家老を務め、西郷隆盛の終生の友であり、庇護者であった桂久武の名がたくさん出てきます。
— 粒山 樹 (@ishin_saigou) 2019年2月24日 - 00:10
正純は桂の義父だったからですが、正純が桂と初めて会った時の記述を見ると、正純は桂のことを「桂家養子赤… twitter.com/i/web/status/1…
赤山名字の成立について少しわかりました。以前、黎明館にいらした林匡さんの「島津氏「支流系図」に関する考察」(『黎明館調査研究報告』第19集)によれば、江戸中期になると、多数の分家、又分家が濫立して島津名字のインフレ状態になったため… twitter.com/i/web/status/1…
— 桐野作人 (@kirinosakujin) 2019年2月24日 - 15:58
日置島津家においても、当主の二男以下の庶子は赤山、当主弟の二男以下は板鼻と名乗るように決められたとのことです。姓氏辞典で、赤松家は藩政秩序での位置づけは門閥家下層である寄合並の席違(寄合並の下位という意味か)、寄合並に準じるということかと思われます。板鼻名字もあったのですね。
— 桐野作人 (@kirinosakujin) 2019年2月24日 - 15:58
桂久武さん。体はってるのだから、恩恵もらえなかったら不平不満が溜まりますよね〜。次回が維新伝心の連載最後。 pic.twitter.com/8zuJzDXIM9
— 東雲ののか (@y32ma05jo) 2019年2月25日 - 22:04