この一年、かなりの事が身の回りに起きているが、パニックにならない。
動悸や焦り、将来の不安、怒り、イライラ、、、、、
起きた事より、平静でいる自分に驚き、それなりに分析しながら自分を知る。
3年前かな?自分が天然だと知り、発達障害とか適応障害とか、
症状を知るとあてはまる自分を知り、不安より安心しました。
誰かの世話になったり、生活保護で生計を立てれる人は病気になるのだろうが、
私の場合は貧乏で育ち、自立しなければならない状況でした。
十津川村に移住した25年前、個性とか多様性とか、お偉い人が言葉にしていたけれど、
現実は個性的な人は排除され、多用的は狭い田舎の枠の中、
グローバル思考とは、程遠い世界で、私は苛立ち窒息しそうになりました。
幸いな事に特殊な人達から、編み物の技術を高く評価されていたので、
ニット作家を目指し、編み物を生業にしようと、奈良で作家デビューしました。
それから20年、試行錯誤しながら編みの研究に没頭し、道を探しました。
半身痺れた事がきっかけでマラソンを始め、30年続けている玄米食も、
自分なりにアレンジして、粗食のマイフードを見つける事ができました。
山暮らしが続いたのも、倹約生活が身につき、お金に支配される事が無くなり、
恥ずかしいとか、コンプレックスも無くなり、ようやく自分を知り得たように感じます。
編みにしても奢る事なく、自分の編み物の道を進むだけのように感じ、
どの位置で止まるのか、前向きに淡々とあるがままに、人事尽くして天命を待ちます。
精神病は贅沢病のようなモノで、多様性に慣れない日本社会で病人は増えるばかりです。
拝金主義の思考で、他人と比べ、周囲を気にしながら思考停止になり働く人が多い。
健康寿命を引き下げても尚、経済発展を主張する政府と群がる羊。
他人を含み6人を殺し、自らも自殺した宮崎の事件も、一種の精神障害だろう。
平成の時代は、経済発展した次世代の諸々の障害が浮き彫りになり、
高学歴の人達が昔のヒッピーのように、田舎暮らしを始め稲作を始めている。
落合陽一のように、百姓の時代の始まりのようにも思える。
次の皇后は適応障害を抱えているけれど、政治が変わり、人の思考も多様化し、
ダウン症や精神疾病も、病気で無く個性と受け入れれば、生活保護も減る。
私の場合は貧乏が幸いだったけど、子供の頃に感じた事、
長い間トラウマと戦ったてきた事、何よりお金は幸いも不幸も招くと知り、
土地を姪に譲り、兄嫁との因果を断ち、実母や養母に感謝の念が生じた事が、
今の自分に繋がってるいるように思えます。