引越しの慌しさにかまけて
日記を2ヶ月もサボってしまいました。
6年生最後の学校での生活や、
大きなイベントである卒業式の様子を
日記にとどめることができなかったことを
とても残念に思っています。
いつも由紀子の様子を気にかけて
日記を読みに来てくださっているみなさんには
本当に申し訳ありませんでした。
この2ヶ月間の様子を少しだけここに書いておきたいと思います。
※2月の始め
由紀子に引越しのことを伝えました。
詳しい話をしても理解できないので
「3月の卒業式が終わったら大村というところへ引越しをします。」
とだけ伝えました。
その時、本を読んでいた由紀子が
パッと私のほうを見て一言
「引越し?」
といいました。
その真剣な表情に一瞬言葉が出ない母でした。
そして、一呼吸置いて
「わかった!」
と答えてまた本を読み始めた由紀子。
あの「引越し?」と聞き返した時に
由紀子は他にも何かいいたいことがあったのではなかったのか・・・
会話がもっと上手にできたなら
由紀子の本当の気持ちが聞けたかもしれないのに・・・
それがとても残念でなりません。
その数日後、
過労から母(tomi)がひん脈の発作を起こして
ちょっとビックリ。
かかりつけの病院から専門の病院へ回された時には
どうなるかと思ったけど、
処置の前に自然に止まってしまい何の処置もせず帰ることに・・・。
帰る時にお医者さんが言いました。
「次の発作が起きたらこの薬を飲んで、
4時間たっても止まらなかったら受診してください。」
(・_・) エ? 4時間? そんなもん?
なぁ~んだ!死ぬような発作じゃなかったのか…
と安心してたら
「でも、あの野球の長嶋さんはこの発作を繰り返して
脳梗塞を起こしたんですよ!」
としっかり釘を刺されてしまいました。
「はい!気をつけます。」
※2月中旬
学校で卒業式の練習が始まりました。
卒業が何なのか理解できない由紀子は
どんどん不安定になっていきました。
特殊学級に行きたくないと言って、
一日中交流学級に居たかと思うと、
数日後には交流学級に行きたくないと言って
特殊学級にこもってしまう・・・
そんなことを繰り返していました。
きっと何処に居ても気持ちが落ち着かなかったのかもしれません。
家に帰れば、引越しの準備で
家の中はダンボールがいっぱい。
母は姉たちの引越しの準備にも追われて、
出かける用事が多くなって
由紀子にゆっくりかかわってやることもできません。
由紀子には本当に辛い日々でした。
※3月初旬
12年間ずっと一緒だったまーまーが
独立して家を出て行きました。
由紀子にとって姉であり、
一番身近なライバルだったまーまー!
けんか相手が居なくなって淋しくなりました。
そして、まーまーと入れ替わりに
熊本からねーねーが戻ってきました。
2人が入れ替わっただけで、
家庭のリズムが変わります。
由紀子の試練は続くのでした・・・。
でも、この頃には由紀子にも卒業の意味がわかるようになって、
自分から「中学生になる」という言葉が出るようになっていました。
3月17日 卒業式
朝からひどい雨が降って、
登校するのも大変な状態で、
式の間も体育館に雨音が響いてうるさいほどでした。
そんな中でも由紀子は落ち着いて、
立派に卒業生として参加をしました。
卒業証書をもらう前に決意発表があります。
「私は中学生になったら、
また新しい友達ができるうようにがんばります!」
大きな声で発表ができました。
先生やお友達にたくさん「さようなら!」を言いました。
その時は気がつかなかったのですが、
この「さようなら」の繰り返しの中で、
由紀子はすでにこの学校の思い出を
心の中に封印する作業を始めていたようです。
卒業式の後、クラスで企画されていたボーリング大会には、
もう参加できなくなっていました。
本当に悲しい心の作業です。
3月19日
由紀子のストレスがピークに達する中で、
引越しが始まりました。
ここまで一気に書いたらさすがに疲れました。
続きはまた明日にします。
=END=
日記を2ヶ月もサボってしまいました。
6年生最後の学校での生活や、
大きなイベントである卒業式の様子を
日記にとどめることができなかったことを
とても残念に思っています。
いつも由紀子の様子を気にかけて
日記を読みに来てくださっているみなさんには
本当に申し訳ありませんでした。
この2ヶ月間の様子を少しだけここに書いておきたいと思います。
※2月の始め
由紀子に引越しのことを伝えました。
詳しい話をしても理解できないので
「3月の卒業式が終わったら大村というところへ引越しをします。」
とだけ伝えました。
その時、本を読んでいた由紀子が
パッと私のほうを見て一言
「引越し?」
といいました。
その真剣な表情に一瞬言葉が出ない母でした。
そして、一呼吸置いて
「わかった!」
と答えてまた本を読み始めた由紀子。
あの「引越し?」と聞き返した時に
由紀子は他にも何かいいたいことがあったのではなかったのか・・・
会話がもっと上手にできたなら
由紀子の本当の気持ちが聞けたかもしれないのに・・・
それがとても残念でなりません。
その数日後、
過労から母(tomi)がひん脈の発作を起こして
ちょっとビックリ。
かかりつけの病院から専門の病院へ回された時には
どうなるかと思ったけど、
処置の前に自然に止まってしまい何の処置もせず帰ることに・・・。
帰る時にお医者さんが言いました。
「次の発作が起きたらこの薬を飲んで、
4時間たっても止まらなかったら受診してください。」
(・_・) エ? 4時間? そんなもん?
なぁ~んだ!死ぬような発作じゃなかったのか…
と安心してたら
「でも、あの野球の長嶋さんはこの発作を繰り返して
脳梗塞を起こしたんですよ!」
としっかり釘を刺されてしまいました。
「はい!気をつけます。」
※2月中旬
学校で卒業式の練習が始まりました。
卒業が何なのか理解できない由紀子は
どんどん不安定になっていきました。
特殊学級に行きたくないと言って、
一日中交流学級に居たかと思うと、
数日後には交流学級に行きたくないと言って
特殊学級にこもってしまう・・・
そんなことを繰り返していました。
きっと何処に居ても気持ちが落ち着かなかったのかもしれません。
家に帰れば、引越しの準備で
家の中はダンボールがいっぱい。
母は姉たちの引越しの準備にも追われて、
出かける用事が多くなって
由紀子にゆっくりかかわってやることもできません。
由紀子には本当に辛い日々でした。
※3月初旬
12年間ずっと一緒だったまーまーが
独立して家を出て行きました。
由紀子にとって姉であり、
一番身近なライバルだったまーまー!
けんか相手が居なくなって淋しくなりました。
そして、まーまーと入れ替わりに
熊本からねーねーが戻ってきました。
2人が入れ替わっただけで、
家庭のリズムが変わります。
由紀子の試練は続くのでした・・・。
でも、この頃には由紀子にも卒業の意味がわかるようになって、
自分から「中学生になる」という言葉が出るようになっていました。
3月17日 卒業式
朝からひどい雨が降って、
登校するのも大変な状態で、
式の間も体育館に雨音が響いてうるさいほどでした。
そんな中でも由紀子は落ち着いて、
立派に卒業生として参加をしました。
卒業証書をもらう前に決意発表があります。
「私は中学生になったら、
また新しい友達ができるうようにがんばります!」
大きな声で発表ができました。
先生やお友達にたくさん「さようなら!」を言いました。
その時は気がつかなかったのですが、
この「さようなら」の繰り返しの中で、
由紀子はすでにこの学校の思い出を
心の中に封印する作業を始めていたようです。
卒業式の後、クラスで企画されていたボーリング大会には、
もう参加できなくなっていました。
本当に悲しい心の作業です。
3月19日
由紀子のストレスがピークに達する中で、
引越しが始まりました。
ここまで一気に書いたらさすがに疲れました。
続きはまた明日にします。
=END=
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