前回で、アリの人口をおよそ5万人としましたが、わたしが行った2000年頃はもっと小さな町でした。
この平均標高4500mのアリ地区は世界一人口密度の低い所で、地区全体の人口はおよそ6万人なので、近未来のアリ市でも5万人くらいが適当かと思います。
アリには多くの漢民族が移住していますが、こんな辺境の地までやって来るのは札付きのアウトローが多く、アリでは治外法権的にギャンブル(大小)の店が堂々と開かれていました。
これには治安機関の長官がチベット系の女性だったコトも関係していたかと思え、彼女は外国人旅行者に格安の罰金で滞在許可証を発行してくれるコトで有名でした。
わたしも彼女のお陰で無事にカイラス巡礼を果たせましたが、こうした「民族融和政策」が2000年頃の中国で行われていたコトは、記憶に残す価値が有るかと思います。
因みにこの頃の中国では、台湾の様に「貸し漫画店」が流行しており、わたしと同年代の中国人には日本の漫画で育ったと言う人も多く居ります。
しかし残念ながら、2008年の北京オリンピックの時にラサで暴動が発生してから、外国人はチベットを自由に旅行するコトが出来なくなり、そうした排外主義はどんどん広がってしまいました。
しかし、愛国主義を強調して殻に閉じこもる経済は発展せず、中国共産党はもう経済発展よりも体制の維持を重視しているようです。
そんな時代錯誤な政権に見切りを付けて、日本に移住する中国人は増えて来ているので、この独裁政権の命運はもうすぐ尽きるかと思います。
最後に、革命根拠地の中心地になった「最果ての街アリ」を描きますと、そこにはチベット亡命政府からの全面的な支援の他に、インドとアメリカからも資金と物資の援助が届いて、より多くの人口を養える首府へと発展して行きます。