真の動物福祉牧場を目指して

ワンラック・ギビング・デイ

 昨日は今回旅に出てから1番多くお金を差し上げた日となりました。
 これは「サンクス・ギビング・デイ」のルドー勝負で1500ルピー(三千円弱)を差し出したのとは比較にならない額で、「ワンラック」は十万を指します。

 その経緯をザッと書きますと、ホームステイしているパプンさんの家では祖父の代から雑貨屋をやっていましたが、祖父が老衰で働けなくなってからは介護で手が回らなくなり、医療費も嵩んだタメ店は畳まざるを得なくなりました。

 こうしたインド家庭の社会福祉施設としての機能は尊重すべきかと思い、日本家庭もかつては家で祖父母をずっと介護するのが当たり前でしたが、核家族化によってその伝統は崩れてしまいました。

 インドでは日本の様に、味気ない他人事でビジネス本意の老人施設に祖父母を預ける習慣はなく、そうした施設は全くと言っていいほど見掛けません。
 病院も日本のように乱立しておらず、独立以来の社会主義的な性質を保っていて国営病院は基本的に無料の様です。

 わたしはデリーのネルー公園の側にある国営病院を歩き回ってサンダルの片割れを探しましたが(片方の鼻緒が切れるともう片方はよく捨てられる)、その国営病院の代表とも言える施設は公園ほどではないにしても荒廃感があり、どう観ても最先端医療とは程遠いと思えましたが、その分アーユルヴェーダなどを取り入れて「do it yourself」の医療を広めている様です。

 話を雑貨屋に戻して、それをわたしが再オープンさせるコトとなった経緯を、あまり気乗りはしないのですが書かせて貰います。
 それは一家全員が計画を立てて、わたしがそうせざるを得なくなる様に数日間かけて誘導されて来た感があり、特に雑貨屋の再オープンを悲願としていた祖母と母親は気を使っていました。

 ゴーラル君は割とクールで、雑貨屋なんてやっても儲からず、ただ祖母と母親が社会活動に復帰できるメリットしか無い、とあまり話に乗って来ませんでしたが、アシュ君は子供の頃から手伝って来た雑貨屋に愛着があり、是非とも再オープンに協力して欲しいと言われました。

 そして何と言っても家長であるパプンさんの説得は力が入っており、それは流暢なブラフマン英語(やたら抑揚が激しい)での執拗に考え抜かれたモノで、勿論ファウンディングにはリターンがあり、それはカジュラホのバラモンの間で受け継がれて来たバンブー・ペインティング・アートとの交換という形式を取りました。
 


 この絵はパプンさん曰く800年前のモノで、ペンの代りに竹で厚い藁半紙に線を刻み、植物から取った色でペインティングした陽気でカラフルな宗教画です。
 これを民宿の入口にでも飾れば、きっとそこは「インド民宿」として評判になるだろう、と、そんなストーリーまでパプンさんは熱く語ってくれました。

 わたしにとって「ワンラック・ギビング」は4~5回目で、中学の同級生にスリーラック貸して音信不通になっても気にはしていないので、今回も十万を出す覚悟は出来ており(親からの旅見舞い金ですが)、下手な駆け引きは抜きにしてお金の話を終えられました。

 絵が十万円で売れたらまずはそれを両替しなければならず、10km離れたカジュラホまでゴーラル君のバイクでいきました。
 彼はこれまでで最高の交換率55.5%を叩き出してくれ、52%とかで交換せざるを得なかった(インドでは旅行者は銀行で替えられない)時も何回かあるので、これは十万円だとかなりの差になります。

 両替から帰るともうお店の大掃除が進行しており、みんなで掃除すれば5畳程の店は直ぐキレイになり、戸棚やカウンターはまだ充分に使えました。
 家と店は一体で外には割と広い段差の階段が三段あるので、そこに腰掛けて道にテーブルを置けば、ちょっとした食堂も可能です(タイではこうした店をよく見掛ける)。

 でも彼等はやはり長年の経験が活かせる雑貨屋を選択し、そのタメの物資を次々に揃えて行きました。
 親戚のホールセラー(卸売商)を呼んでアドバイスも受け、少ロットで多品目を揃えるアレンジメントをして貰えました。
 その一式は夜に届いて、翌朝にはもう開店準備が殆ど整いました。
 


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