このジャンルは結構しっかり確立されており、「男性について」の歌がほとんど無いのとは対照的です。
それは例えば「キャシーの歌」(サイモン&ガーファンクル)があっても「ジョーの歌」は無い様に(「Hey Joe」はありますが)、女性はそのまま歌に成る存在と言えます。
因みにこの歌は、「貴女の優しさのお陰で僕はやって行ける」と謳われています。
もう一つ例を挙げれば「ナナへの気持ち」(スピッツ)という歌はあっても「太郎への気持ち」なんて歌は無く、女性は謳うのに適した存在と言えます。
因みにこの歌では、「君だけが~ここにいる~」と謳われています。
「Woman」(ジョンレノン)は誰もが知っている名曲ですが「Man」は無く、女性は代名詞でも歌になります。
それは誰もが「女性の愛」によって育まれて来たからで、もしもこれが枯渇してしまったら人類に未来はありません。
一方、女性が「女性について」歌っているのは限られ、私は「悪女」(中島みゆき)くらいしか思い浮かびません。
これは「遊び女」についての歌で、残念ながら私はそうした女性と会ったコトはありませんが、美女からの誘い受けて断れる男性はまず居ないでしょう。
信仰の世界でも女性は特別な存在で、それはボブディランが「Covenant Woman (神と契約を結んだ女性)」で歌っていますが、これは「清い歌」で紹介したので今回は XTC の「Church of Women」を紹介します。
「女性の教会」は我々男性にとってオアシスの様な場所で、「男性の教会」なんて行く気は全くしませんが、「女性の教会」には二年ほど福島で通ったコトがあります。 それは「世界平和統一家庭連合」で、ここは「神聖な国際結婚」を売り物にしている教会なので、女性が圧倒的に多く暖かい場所でした。
次に「聖なる歌」で題名だけ挙げた、新井英一「愛しい人」を紹介します。
これは韓国フォークソングのカバーで、前半は韓国語で唄われています。 私は韓国人街の新大久保まで歩いて10分の所に実家がありますが、韓国の歌はこれしか知りません。
それを紹介してくれた在日二世の英一は貴重な存在で、日本人離れした熱いブルースを聴かせてくれます。
最後に、昨日NHK「映像の世紀」でフィーチャー(特別に紹介)されていたデヴィッド・ボウイから、「サフラジェット・シティ (女性参画都市)」を挙げます。
これはボウイがロンドンでの学生時代を唄ったモノで、60年代ロンドンはドラッグ-カルチャー発祥の地でした。
それは大英帝国が崩壊し、「大人たちの価値観」と経済も崩壊したコトで、子供たちが新しい価値感を築こうとしたカウンター-カルチャーの一環と取れます。
「映像の世紀」では独裁政権が牛耳る東側に対抗し、「表現の自由」を謳歌した彼の歌が「東西の壁」を打ち崩したと描かれていましたが、そうしたインパクト(力)が確かにこの「女性参画都市」からは感じ取れます。