今回もまたパールワティーのブログを書きますが、その前にNHKの番組でとても面白かった「アメリカ葛藤の80s」を紹介したいと思います。
このページは番組の感想ですが、一般の視聴者がここまで熱心な感想文を寄せるテレビ番組は滅多になく、NHKは良い仕事をしていると言えます。
ここでたくさん紹介されている「80s」の音楽と映画から、私が特に影響を受けたのはブルース-スプリングスティーンと「ウォール街」です。
スプリングスティーンは中島みゆきにも大きな影響を与えたアーティストで(「流星」で彼を歌ってる)、「アメリカの葛藤」をリアルに歌いました。
私が一番シブイと思うアルバムは「トムジョードの亡霊」ですが、いきなりこの重たいアルバムから聞くのはお勧めせず、まずは軽快なデビューアルバムからをお勧めします。
「ウォール街」は投資家が世界制覇を目論む話ですが、これは個人的な欲望に終わってしまった観があります。
それは続編と言える「ウォール街の狼」(レオナルド-ディカプリオとマシュー-マコノヒー共演)でも同じで、よりリアルなドキュメンタリー映画「Inside Job」ではその犯罪が白日の元に暴れています。
この映画によって、民主主義の旗手を自任するアメリカにおいてすら、90%の国民が10%の支配階級に搾取されている現状が知れ渡り、それに抗議する革命運動が「ウォール街占拠」として起こりました。
この闘いは民衆側が勝利し、アメリカは民主党が政権を取って、貧しい有色人種やLGBTQの権利向上に結びつきました。
しかし、南部では未だに保守党が支配的で、黒人やマイノリティーの葛藤はこれからも続きそうです。
そんな中、特別な存在感を持つマイノリティーとして、アメリカ原住民の文化復興運動が近年盛り上がって来ています。
これは日本でもアイヌ文化復興運動として盛り上がり、ネイティブ-アメリカンの平和行進(大陸横断で5ヵ月間)には多くの日本人が参加していました。
これについて語ると前置きが長くなり過ぎるので、パールもこの行進に参加したとして語らせて貰います。
ーー 前回、私はアメリカ産まれだと告白しましたので、今日はアメリカについて語らせて貰います。
私が産まれたのはニューヨークで、今世紀の始まりの年でした。 母は私にアメリカ国籍を持たせたくてわざわざ移住し、こうした母親は中国にも多い様ですが、ロシアでは非常に稀です。
母はスイスで産まれ育ったので祖国ロシアを知らず、ニューヨークで女優を目先しますが上手く行かずに、私が物心つく頃にようやくロシアの祖父の元へ還りました。
当時のアメリカは「9.11」後で演劇どころではなく、そもそもハリウッド映画が主流でそこにロシア人亡命者の役は殆どありませんでした。
ここでアメリカ映画について少し話しますと、これはロシアでも若者の間でよく観られています。 特に最近はインターネットで何でも観れる時代になったので、映画で英語を勉強する若者も増えています。
ロシア映画は残念ながら廃れてしまったので、若者は海外の文化に強い憧れを懐くようになり、特にアメリカ映画は人気で私もディカプリオとマコノヒーの大ファンです。
アメリカ映画が面白いのは、この国が移民と難民によって創られて、様々な葛藤が持ち込まれたからと言えます。
しかし、アメリカには元々住んでいた原住民も居り、彼等が抱える葛藤はあまり映画では映されませんが、私はそれをたくさん目にして来ました。
それは私が17才の頃、ネイティブ-アメリカンの人達の伝統的な平和行進に参加できたからで、これは「Longest Walk」と言われる古くからの儀式でもあります。 大陸を西から東へと歩いて横断して、それは5ヶ月間にも及びネイティブの人達のコミュニティーを繋げ、若者達に伝統を引き継ぐ目的で行われます。
この平和行進には日本の僧侶団と若者達も多く参加していて、彼等と仲良くなれたコトで後に日本へ留学できました。
しかしネイティブ-アメリカンの若者達はあまり元気がなく、それは家がフードスタンプ(生活保護)に頼っている為に、子供の頃からずっと最低な食事しか取れず、それは彼等のコミュニティーを世界最悪の糖尿病発生率にしてしまっています。
平和行進では、コミュニティーで健康的な食物を栽培する道を提唱していましたが、彼等は豊かな土地を奪われて砂漠地帯に強制移住させられており、そこでの産業と言えばカジノ位しか無いのが現状です。
若者は殆どが都市へ出ていってしまい、教育を受けるお金は無いのでその多くが軍隊に入らざるを得ません。
彼等の多くは戦地から戻ると精神的な病を抱えてしまい、アルコール依存性率も特出して高いコミュニティーになってしまっています。
このお酒とドラッグの問題はアメリカが抱える大きな葛藤で、平和行進では街の教会にもよく泊まらせて貰いましたが、その多くの教会で断酒会が開かれていました。
長くなったのでまとめますと、こうしたアメリカの葛藤はそれを乗り越えようとする取り組みを生み、それはなかなか成果を上げられないかも知れませんが、少しずつ歩いて前進して行っています。 ーー