前回「勝利の女神ドゥルーガ」の幼少時代を振り返ったので、インド神話では一体とされる「美の女神パールワティー」の幼少時代も描いておきます。
これは以前に、母親が祖父ソルジェニーツィンが亡命したフランスで産まれ、彼女は劇女優としてニューヨークのブロードウェイで活躍したので、パールはそこで産まれ育ったとしました。
ソルジェニーツィンはゴルバチョフ時代に名誉回復され、ロシアの英雄として世界的な名声を獲得したので、母親とパールはその影響を強く受けて生活します。
祖父は文学界のみならず宗教界からも最高栄誉賞を受けた唯一の人物で、これは即ち世界史上で最も「解脱した作家」だと認定されたコトを示します。
その代表作「収容所群島」は20世紀で最も影響力を発揮した著作ともされ、これは独裁政権の闇と腐敗に立ち向かって散って行った人々の魂に捧げられたレポルタージュです。
パールはこの祖父から特別に目を掛けられて育ち、幼くして彼の秘書として公演旅行に同行し世界を巡りました。
その時日本にも立ち寄って好きになり、高校生の頃に1年間交換留学したコトなども彼女の文学的成長に貢献したと描きました。
これは、わたしも高校生の時アメリカに1年交換留学したので挿入したエピソードで、アメリカ国籍を持つパールは当然アメリカ文学から強い影響を受けますが、日本の方がアメリカよりも豊かで深い文学を生んだと感じます。
しかしやはり文学と言えばロシアであり、それはロシア人の苦悩と葛藤が他よりも一層深いからと思われます。
パールが大学生になった頃のロシアもそんな苦悩と葛藤に満ちており、彼女はいつしか祖父と同じ道、即ちロシア人の魂に救いをもたらす文学を追求するようになります。
約1年半前に「Sun」の物語をスタートさせた時、パールは既に「新時代のロシア革命」を先導する存在で、中国に亡命したのは同じく独裁政権に支配された大国で活動するコトで、「革命の連帯」を築こうとしたからでした。
そんなパールはルーガとの出会いにより、中国革命の最前線に立つコトとなります。
彼女の中国語ブログによる文闘は、ルーガという優れた編集者を持つコトで「解脱」を果たし、2人は神話の様に一体となって文章を練ります。
このブログ「八路和提(パールワティー)」は、絶世の美女のロシア人亡命者によるモノとして注目を集め、そこで毎日連載される「十六戦旗物語」は大きな話題になります。
パールの文学的解脱は、こうした毎日途切れるコトの無い、ほとばしる様な物語として達成されます。
この物語は現実の中国革命とリンクして描かれ、革命軍が北京中枢を占拠した頃には現場のレポルタージュに切り変わって、「ルーガのエクソダス」(長征)が始まってからは新たな「長征神話」を生むコトを目指します。