このモンゴルでの農業振興プロジェクトについて物語るには、技術的な話をかなり沢山しなければならない
ので、初めからパールのブログとしてかみくだいて語っていきます。
ーー かつて清朝はモンゴル全土を支配したコトがありますが、それは長続きしませんでした。
それはモンゴル草原での農業が上手く行かなかったからで、苦労して整備した農地はわずか数年で塩害により不毛の地になってしまいました。
私達が台湾光復党の支援で行おうとしているのは、この塩類集積した農地を蘇らせて、中国人が果たせなかったモンゴルでの農業開発を成功させる事業です。
これにはイスラエルで開発され砂漠の農地化を可能にした「ドリップ-イリゲーション(点滴灌漑)」と、エジプトやパキスタンの塩害農地を広く蘇らせてきた「EM農法」を組み合わせて適用する必要があり、それをなるべくローテクでコストを抑えて行う方法として、自転車の廃チューブとウランバートル市の下水を利用する計画だと前に語りました
このプロジェクトの初年度は準備期間に当てられ、廃チューブは自転車大国の中国から輸入するのが一番安上がりなのですが、モンゴルと中国の通商には政治的な壁があり、仕方なくインドからロシア経由で運んで来るコトとなりました。 今回インドのダラムサラ―に行った折にもその買い付けに回りましたが、これにはインドに住んでいるチベット系の人達が協力してくれて大量に安く仕入れられ出来ました。
これらの廃チューブには穴がいくつも開いており、その場所に印をつけて上手く間隔を調整してつなぎ合わせる作業は骨が折れましたが、モンゴルに亡命したウイグル人女性達は器用にそれをこなしてくれ、2年目には広大な面積を点滴灌漑できる準備が整いました。
しかしこれよりもっと準備に苦労したのは、下水処理施設を改良するコトでした。 150万人も住んでいるウランバートルの下水道は古くて再処理設備が整っておらず、そのタメ台湾からの援助金の殆どはこの整備に当てられました。
でもそれは市の周りに定住している遊牧民達に仕事を与える効果があり、寒さから逃れるタメ下水道に住み着いている人達の生活空間の改善にもつながって、市の衛生環境は格段に良くなったので多くの人達から感謝されました。
この下水処理には有効微生物群(EM)を用い、これは古く民朝の時代に農聖サイオンが台湾に伝えたとされるカルチャー(微生物群)で、光復党の党首であるラクシュミー(楽須弥)が族長も務める布農(プノン)族に永年受け継がれて来たモノです。 もちろん現代ではその微生物構成は解明され製品化されていますが、沖縄で開発されたEM1号が23種類のカルチャーに絞り込まれたのに対して、台湾で流通しているサイオン1号は81種類の有効微生物群から成っております。
こちらの国際的にはマイナーなEMを本プロジェクトで用いたのは、なにも台湾企業に利益を還元するタメではなく、光合成細菌のバリエーションが多くて下水処理に向いており、塩類集積した農地の「地の塩」を消化し養分に変える働きも光合成細菌が担っているからです。
技術的な話にはあまり深入りしませんが、下水処理場で1年間発酵熟成させた液肥には活性化した光合成細菌が多く含まれて、これを点滴灌漑して作物を育てる試験を重ねた結果、初年度から本格的な大規模栽培に自信を持てる成果が上がりました。 この試験ではもちろん多くの作物を試して、ここの土地と気候に合うモノとしてカボチャ、空豆、大根、トマトの4つが選ばれました。
カボチャは寒さに強く、株間を10メートルも開けられるので点滴灌漑に向いています。 空豆も同じで蔓をとても長く伸ばすので間隔を開けられ、水分を一点集中で少なく抑えられるので、蒸発によって地下の塩類が吸い上げられるコトを防げます。
大根で株間を取るのは不自然に思われるかも知れませんが、この野菜は養分の一点集中に敏感に応え巨大化するので、間隔を開ければ10㎏クラスの巨大大根が収穫でき、葉っぱも食べれるのでモンゴル人の緑黄色野菜欠乏を解消できます。 トマトも露地栽培は日本では難しいとされますが、乾燥地帯では問題なく育ち、栄養満点の液肥によってその木は巨大化して数百もの実をつけます。
清の時代の中国人もトマトならばモンゴルで育てられたかと思い、南米原産のこの野菜はきっとモンゴル人にも受け入れられて、彼等の肉が主体だった食生活を大いに改善すると思います。 --