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ジョイス・マイヤーの本 思考という名の戦場より 《ジョンのストーリー》 前半

2021-07-16 18:43:24 | 日記
ジョイス・マイヤーの本
思考という名の戦場より
《ジョンのストーリー》
この2人の結婚生活がうまくいっていない背景には、もうひとつの物語が絡んでいます。夫婦のいざこざや家庭内に生じる問題の原因は、夫にも存在していたのです。
ジョンは、家長としての立場をしっかりと守る必要があります。ジョンが、家庭の中でリーダーの役割を果たすようにと定めたのは、神様なのです。ジョンもクリスチャンなので、家庭内に必要な秩序に関する聖書の教えを十分に理解しています。つまり、妻が家の中を仕切り、家計や子どもたちだけでなく、夫までも支配するこの状況が間違っていることぐらい、よくわかっているんpです。しかし、それに関して、ジョンは特に行動を起こしません。「自分には手に負えない」と思うと、テレビやスポーツに逃避する毎日でした。ジョンは、真正面から問題にぶつかるのが嫌いなタイプです。できれば責任を回避したいと思っています。「まあ、このまま放っておけば、なんとか丸く収まるだろう」と考え、つい受け身な態度を取りがちでした。時には、「まあ祈っておくから」というひと言を言い訳にして、実際に行動を起こすことから逃げていました。もちろん、祈ること自体は悪いことではありません。しかし、責任逃避の手段として祈りを言い訳にするなら、話は別でしょう。
ところで、私は先ほど、「ジョンは、家長としての立場をしっかりと守るべきだ。」と言いました。しかし、だからと言って〝マッチョマン”のように大声を張り上げて、自分の権威を振りかざせと言っているのではありません。
・エペソ人への手紙5:25
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。
と教えています。つまり、ジョンは、夫としての責任から逃げてはならないのです。家長としての責任を果たす時、それに伴う権威が備わります。その権威に立ち、愛に基づいて、妻を制することもできるはずです。たとえメアリーが、子どもの頃に受けた父親からの傷に苦しんでいたとしても、神様に信頼して自分自身を委ねることをジョンは励ますべきなのです。そのプロセスの中で、すべての男性が必ずしも父親のようではないことに、やがて彼女は気付けるはずなのですから。
続く


ジョイス・マイヤーの本 思考という名の戦場より 《神のことばという武器》続き

2021-07-16 18:25:22 | 日記
ジョイス・マイヤーの本
思考という名の戦場より
《神のことばという武器》続き
その他の武器には、賛美と祈りがあります。賛美をすると、他のどんな戦術よりもはるかに速やかに、敵を打ち負かすことができます。ただし、単なる口先だけの賛美や、「本当に効き目があるかどうか、ひとつ試してみてやろう」といった気持で歌う賛美では意味がありません。心の底からささげる「本物の賛美」でなくてはならないのです。また、賛美と祈りには、神のことばが伴います。神のことばの上に立って、神様を賛美するのです。いかに最高なお父さんであるかを思いながら、神様への感謝を表すのです。
祈りとは、天のお父さんである神様とのコミュニケーションです。神様に助けを求めに行き、自分が困っていることについて神様と話をすることです。それは交流であり、友情であり、神様の存在そのものや、与えられた数々の素晴らしいことへの感謝を表す手段なのです。
祈りが答えられることを望むなら、まず父である神様との個人的な関係を深めることから始めましょう。神様があなたを愛していること、また憐れみに満ちていて、どんな時でもあなたを助けたいと願っていることを、しっかり心に留めましょう。そして、イエスを知り、イエスとの深いつながりを築いてください。イエスはあなたの友だちです。あなたのために、命さえも惜しまず捧げてくれました。また、聖霊と親しくなってください。聖霊は、1番身近な助け手として、いつもあなたとともにいてくれるのです。だから、どんな時も聖霊に助けてもらいましょう。
そして、私たちの祈りを、神のことばで溢れさせましょう。
・詩篇9:10
御名を知る者はあなたに拠り頼みます。主よあなたを求める者を あなたはお見捨てになりませんでした。
ここには神のことばの権威に立って、私たちの必要を神に願い求めることができると書かれています。
このように、神のことばは、様々な場面で用いられる武器であることがわかります。私たちは、神のことばで祈り、神のことばを語り、神のことばを歌い、神のことばを学ぶのです。
・Ⅱコリント10:4-5
私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力があるものです。
私たちは様々な議論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。
パウロがⅡコリント10:4-5で述べているように、私たちの武器は肉のものではなく、霊的なものなのです。私たちは、悪霊の長たち、あるいは悪魔そのものと戦っているのですから、霊的な武器を用いなければなりません。イエスでさえ、荒野で悪魔を打ち負かすために、神のことばの武器を用いました。
・ルカの福音書4:11-13
彼らは、その両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」
するとイエスは答えられた。「『あなたの神である主を試みてはならない』と言われている。」
悪魔はあらゆる試みを終えると、しばらくの間イエスから離れた。
悪魔が偽りをもってイエスに迫るたびに、イエスは「…と聖書に書いてある」と応戦したのです。
神のことばの武器を使うことで、頭の中に築き上げられた要塞を、メアリーにも破壊することができます。真理を知れば知るほど、その心理が彼女を自由にするのです。そうなれば、すべての男性が父親のようではないことに、やがて彼女は気付くでしょう。中には、彼女の父親のようなひどい男性もいるでしょう。しかし、そうでない男性も、世の中にはたくさんいるのです。ましてや、彼女の夫・ジョンは、父親のようなひどい男ではありません。ジョンは、メアリーを心から愛しているのですから。


E.M.バウンズの祈りの力より 『聖霊の注ぎ』 イザヤ59:1 7/16

2021-07-16 07:59:47 | 日記
2021年7月16日
E.M.バウンズの祈りの力より
《聖霊の注ぎ》
イザヤ59:1
見よ。主の手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない。
神の業が行われてわたしたちが聖性において成長すると、複雑な問題が生じます。教会が霊性を深め、わたしたちが祈りの民となり、聖性に飢え渇いているなら、なぜ聖霊が豊かに注がないのでしょうか。
唯一の答えはこれです。わたしたちが聖性の業を忘れて、別のことに熱心だったからです。わたしたちが教会の中で物質的な事柄に心を奪われていたからです。目を主に向けなければなりません。そうすれば、主はわたしたちに御自分の霊を注いでくださいます。
全能の神よ。わたしはしばしば、あなたに思いと行いを向ける代わりに、どうでもよいことに心を奪われています。今日、あなたの真理によってわたしを導いてください。アーメン。