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詩篇3篇

2021-07-18 22:45:35 | 日記
詩篇3篇
ダビデの賛歌。ダビデがその子アブサロムから逃れたときに。
1 主よ なんと私の敵が多くなり 私に向かい立つ者が多くいることでしょう。
2 多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼には神の救いがない」と。   セラ
3 しかし 主よ あなたこそ 私の周りを取り囲む盾 私の栄光 私の頭を上げる方。
4 私は声をあげて主を呼び求める。 すると 主はその聖なる山から私に答えてくださる。   セラ
5 私は身を横たえて眠り また 目を覚ます。 主が私を支えてくださるから。
6 私は幾万の民をも恐れない。 彼らが私を取り囲もうとも。
7 主よ 立ち上がってください。 私の神よ お救いください。 あなたは私のすべての敵の頬を打ち 悪しき者の歯を砕いてくださいます。
8 救いは主にあります。 あなたの民に あなたの祝福がありますように。   セラ

詩篇2篇

2021-07-18 22:37:29 | 日記
詩篇2篇
1 なぜ 国々は騒ぎ立ち もろもろの国民は空しいことを企むの
か。
2 なぜ 地の王たちは立ち構え 君主たちは相ともに集まるのか。 主と主に油注がれた者に対して。
3 「さあ、彼らのかせを打ち砕き 彼らの綱を解き捨てよう。」
4 天の御座に着いておられる方は笑い 主はその者どもを嘲られる。
5 そのとき主は怒りをもって彼らに告げ 激しく怒って 彼らを恐れおののかせる。
6 「わたしが わたしの王を立てたのだ。 わたしの聖なる山シオンに。」
7 「私は主の定めについて語ろう。 主は私に言われた。『あなたはわたしの子。 わたしが今日あなたを生んだ。
8 わたしに求めよ。 わたしは国々をあなたへの ゆずりとして与える。 地の果ての果てまであなたの所有として。
9 あなたは鉄の杖で彼らを牧し 陶器師が器を砕くように粉々にする。』」
10 それゆえ今 王たちよ悟れ。 地をさばく者たちよ慎め。
11 恐れつつ 主に仕えよ。 おののきつつ震え 子に口づけせよ。
12 主が怒り おまえたちが道で滅びないために。 御怒りが すぐに燃えようとしているからだ。 幸いなことよ すべて主に身を避ける人は。

詩篇1篇 これから時間のある時にコツコツとアップします

2021-07-18 22:27:25 | 日記
なんとなく、時間が取れた時にこつこつやろうと思い始めた詩篇通読(打ち込み)
長いのは適当に段落で区切って打てたらと思います。
ということで
今日は詩篇1篇
1 幸いなことよ 悪しき者のはかりごとに歩まず 罪人の道に立たず 嘲る者の座に着かない人。
2 主のおしえを喜びとし 昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。
3 その人は 流れのほとりに植えられた木。 時が来ると実を結び その葉は枯れず そのなすことはすべて栄える。
4 悪しき者は そうではない。 まさしく 風が吹き飛ばす籾殻だ。
5 それゆえ 悪しき者はさびきに 罪人は正しい者の集いに 立ち得ない。
6 まことに 正しい者の道は主が知っておられ 悪しき者の道は滅び去る。


カレンムーアの心からの祈りより 『悪人にも善人にも』 マタイの福音書5:45 7/18 

2021-07-18 07:50:14 | 日記
2021年7月18日
カレンムーアの心からの祈りより
《悪人にも善人にも》
マタイの福音書5:45
天におられるなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。
主よ、あなたは、悪人にも善人にも、あらゆるよいものを与えてくださり、どんな人も愛してやまない方です。
あなたの子どもたちが苦しみ、あなたの子でもではない人たちが成功するのを目にします。けれども、今の世での歩みがいかに苦しくても、次の世では、わたしたちは必ずあなたのそばにいることができます。この命が終わった後、あなたを知らない成功者たちは、あなたと共にいる喜びを味わえないかもしれないのです。
わたしたちは、次の世ではご臨在のうちに歩む者です。今日、それにふさわしい者でありますように。わたしがどこにいても、誰に対しても善を行うことができますように、アーメン。
詩篇100:5
主はいつくしみ深く その恵はとこしえまで その真実は代々に至る。


E.M.バウンズの祈りの力より 『実で見分ける』 マタイの福音書7:20 7/18

2021-07-18 07:49:22 | 日記
2021年7月18日
E.M.バウンズの祈りの力より
《実で見分ける》
マタイの福音書7:20
こういうわけで、あなたがたは彼らを見によって見分けることになるのです。
世が信仰生活の姿を判断するのは、聖書の言葉によってではなく、キリスト者の生き方によってです。キリスト者とは、世の罪人にとっての聖書です。ですから、重要なのは生活の聖性です。ところが、教会の奉仕者を選任する際に、聖性の質が考慮されていません。
世の目から見れば、祈りはそれほど重要なものに思われないかもしれません。しかし、祈りは神の業と御計画全体にとって重大です。神は聖なる民を捜しておられます。祈りの習慣を持つ人を捜しておられます。神の子らとして、あなたが属する世が目で見ることのできる実を結ぼうではありませんか。
聖なる生活を深められるよう、神の霊に祈ろうではありませんか。
父である神よ。わたしが属する世が目で見ることのできる善い実を結ばせてください。聖なる生活を深められるよう、わたしを導いてください。アーメン。