人権・同和問題学習の授業参観がありました。
1853年、ペリーが日本に来て、1854年には日米和親条約を結び、日本は開国しました。
そこで、欧米諸国と条約を結んだがそれらはどれも「不平等条約」だったわけです。
具体的には治外法権を認めさせられ、関税自主権が認められませんでした。
外交官たちが改正交渉を始めたのです。
岩倉使節団や鹿鳴館もその一例です。
ただ、日清戦争以前は日本は遅れた国とみなされて、相手にされなかったのです。
日清戦争で勝った後、日本が国際的に認められるようになり、
1894年には陸奥宗光が治外法権を撤廃しました。
日露戦争で勝ったあとの1904年には、小村寿太郎が関税自主権を回復し、
不平等条約改正が達成されたわけです。
しかし。
政府のねらいと人々の心の中にある差別意識は根強かった。
授業が進むにつれ、子どもたちは
差別をされた人々の想いや行動について考えを深め差別に対しての憤り、
差別の解消に向かって立ち上がることの大切さを自分のこととして感じ
とても積極的に発表できていました。
差別に立ち向かう人々の気持ちに共感し、差別を許さない、
そのために最後まであきらめないという心情を高められた点が素晴らしかったと思います。
子どもたちは、自分の考えをもちしっかりと発表できよく育っているなあと感心しました。