ささやんの天邪鬼 ほぼ隔日刊

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

Self-Defense と「われわれ」

2018-11-08 11:20:13 | 日記
ボケーっと生きているせいか、テレビのニュースを聞き漏らした。きのうの夕
食のときである。画面には参院予算委員会の審議の様子が映しだされていた。
野党の議員が質問しているところだった。
「自衛隊は英訳すると Self-Defense Force で、海外では自分を守る組織と誤解
される。これでは自衛隊員の士気が落ちるので、名称を変更したほうが良いの
ではないか」とか何とか。

この質疑を聞きながら、私はボケーっと、別のことを考えていた。「自分を守
るのが良くないなんて、ずいぶんアナクロな話だな。これでは戦前、戦中と変
わらないではないか」

私は、この日の昼頃に見た「100分de名著 三木清”人生論ノート”」のこと
を思い返したのである。
「三木がこれ(『人生論ノート』)を書いた当時は、幸福について語ることは
避けるべきことと見なされていた。自分について考えることは良くないことだ
と考えられていた。お国のことを考えるのが大事だとされていた時代なのだ。」

講師の岸見一郎だったか、MCの伊集院光だったかが、そんなことを喋っていた。
三木自身はどう論じているのか。三木がこのことについて論じた件(くだり)
を、「青空文庫」版から拾っておこう。

「良心の義務と幸福の要求とを対立的に考えるのは近代的リゴリズムである。
これに反して私は考える。今日の良心とは幸福の要求である、と。社会、階
級、人類、等々、あらゆるものの名において人間的な幸福の要求が抹殺(まっ
さつ)されようとしている場合、幸福の要求ほど良心的なものがあるであろう
か。幸福の要求と結び附かない限り、今日倫理の概念として絶えず流用されて
いる社会、階級、人類、等々も、何等倫理的な意味を有し得ないであろう。
(中略)幸福の要求が今日の良心として復権されねばならぬ。ひとがヒューマ
ニストであるかどうかは、主としてこの点に懸っている。」

自分を守ることは、幸福を追求することの根底をなしている。「自分を守る」
( Self-Defense )という言葉が悪いイメージを懐かせるなんて、ちゃんちゃ
らおかしい!

参院予算委での、自衛隊の名称変更に関する野党議員の質問を、あす(つま
り、きょう)の本ブログのネタにしようと決めた。ブログで公表するからに
は、ネタ元に関する正確な情報が欠かせない。そう思ってネット上をあれこれ
検索したが、望み通りの記事はなかなか見つからなかった。代わりに、次のよ
うな記事が見つかった。

「旧優生保護法の下で強制的に不妊手術が行われていた問題で、超党派の議員
連盟は、手術を受けた人たちを救済するための法案の骨子をまとめ、おわびを
する主体を、主に立法機関を意味する『われわれ』としています。
(中略)
それによりますと、旧優生保護法が議員立法で成立した経緯を踏まえ、前文に
盛り込むおわびをする主体を、主に立法機関を意味する『われわれ』とし、
『手術により心身に多大な苦痛を与えたことを率直に反省し、深くおわびする』
としています。
また、救済の対象は手術を受けたおよそ2万5000人で、本人の申請をもとに、
専門家による認定機関が、手術の記録のほか家族の証言や手術の痕に関する医
師の診断書なども勘案して認定したうえで、一時金を支給します。」
                (NHK NEWS WEB 11月7日配信)

お詫びをする主体を「われわれ」にするとは、笑止千万、苦肉の策以外の何も
のでもない。「われわれは辺野古への基地移設を許さないぞ!」の「われわれ
」も「われわれ」、「われわれは韓国の大法院の判決を認めないぞ!」の「わ
れわれ」も「われわれ」、「われわれは自衛隊の名称変更を要求する!」の
「われわれ」も「われわれ」、ーーいろいろな「われわれ」がある。「われわれ」
が立法機関を意味するなんて、一部議員の勝手な思い込みに過ぎない。われわれ
はそう考えるのだが。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 優生保護法 改廃の根拠を問... | トップ | アメリカ中間選挙 その後に... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事