あれから12年か、ちょうど一回りだな。私は来し方をふり返り、深い感慨にとらわれる。長かったような、短かったような・・・。
自分が脳出血に襲われ、片麻痺になってからの歳月を、私は毎年、テレビの報道によって思い起こす。私が救急車でICU(集中治療室)に運び込まれたその日は、忘れもしない、3月11日、東日本大震災が起こった当日だった。
「あす3月11日で、東日本大震災が発生してからちょうど**年が経ちます」。
毎年、その日が近づくと、テレビはまるでお題目でも唱えるように、必ずその話題にふれる。そのアナウンスを聞いて、私は「ああ、あれから**が経ったのか」と、自分が意識を失って倒れた「その日」を思い出すのである。
思い出すといっても、脳裏に浮かぶのは、ベッドの上で大きな揺れを感じたこととか、ICUの看護師さんが「**地区では水が出ないらしいよ」と同僚看護師と話していたこととか、病院のロビーで見たテレビでは、枝野官房長官(当時)がフクシマ原発事故の対応について、出ずっぱりで現状報告をしていたこととか、そんな震災関連の出来事ばかりである。
話は変わるが、けさ読んだ朝日新聞の社説《震災の記録 さらなる活用のために》では、あちこちの震災関連アーカイブが資金不足のため、閉鎖を余儀なくされている現状を取りあげていた。震災関連の情報の保存や閲覧は、今後は国立国会図書館のポータルサイト「ひなぎく」に引き継がれるようだが、そうなると、情報へのアクセスが手軽にはできなくなるらしい。
そんなふうにして、震災の記録は一般の市民から遠ざけられ、震災の記憶も(戦争の記憶と同様)どんどん風化していくのだろう。
二年ほど前のことだが、テレビの報道番組を見ていて、腹立たしい思いをしたことがある。その報道番組では10年前の東日本大震災を特集していたが、報道されるのは大津波で犠牲になった人たちのことばかりで、「フクシマ原発事故」のことはひとこともふれられなかった。
そのときの腹立たしい思いを、私は当時のブログで次のように書いている。
「そうだ。10年前の3.11は、福島原発が大事故を起こした『フクシマ記念日』でもあるのだ。それがテレビ・メディアでは、『大津波・被災記念日』に置き換わり、明らかに『記憶の変造』が行われている。」
(2021/3/12《3.11 何の記念日?》)
こう書いてから丸2年が経つが、昨今のテレビの報道番組では、「東日本大震災」の出来事そのものが(まるでなかったかのように)特集のネタから外されている。「フクシマ記念日」の記憶を押しのけるように、今は原発再稼働の話が大手を振って闊歩しはじめている。「フクシマ記念日」の記憶と一緒に、その教訓から得た「40年ルール」のことなど、さっさと忘れてしまおう、という勢いなのである。
原発推進派のご都合主義がばらまく健忘症には、くれぐれも気をつけなければならない。
自分が脳出血に襲われ、片麻痺になってからの歳月を、私は毎年、テレビの報道によって思い起こす。私が救急車でICU(集中治療室)に運び込まれたその日は、忘れもしない、3月11日、東日本大震災が起こった当日だった。
「あす3月11日で、東日本大震災が発生してからちょうど**年が経ちます」。
毎年、その日が近づくと、テレビはまるでお題目でも唱えるように、必ずその話題にふれる。そのアナウンスを聞いて、私は「ああ、あれから**が経ったのか」と、自分が意識を失って倒れた「その日」を思い出すのである。
思い出すといっても、脳裏に浮かぶのは、ベッドの上で大きな揺れを感じたこととか、ICUの看護師さんが「**地区では水が出ないらしいよ」と同僚看護師と話していたこととか、病院のロビーで見たテレビでは、枝野官房長官(当時)がフクシマ原発事故の対応について、出ずっぱりで現状報告をしていたこととか、そんな震災関連の出来事ばかりである。
話は変わるが、けさ読んだ朝日新聞の社説《震災の記録 さらなる活用のために》では、あちこちの震災関連アーカイブが資金不足のため、閉鎖を余儀なくされている現状を取りあげていた。震災関連の情報の保存や閲覧は、今後は国立国会図書館のポータルサイト「ひなぎく」に引き継がれるようだが、そうなると、情報へのアクセスが手軽にはできなくなるらしい。
そんなふうにして、震災の記録は一般の市民から遠ざけられ、震災の記憶も(戦争の記憶と同様)どんどん風化していくのだろう。
二年ほど前のことだが、テレビの報道番組を見ていて、腹立たしい思いをしたことがある。その報道番組では10年前の東日本大震災を特集していたが、報道されるのは大津波で犠牲になった人たちのことばかりで、「フクシマ原発事故」のことはひとこともふれられなかった。
そのときの腹立たしい思いを、私は当時のブログで次のように書いている。
「そうだ。10年前の3.11は、福島原発が大事故を起こした『フクシマ記念日』でもあるのだ。それがテレビ・メディアでは、『大津波・被災記念日』に置き換わり、明らかに『記憶の変造』が行われている。」
(2021/3/12《3.11 何の記念日?》)
こう書いてから丸2年が経つが、昨今のテレビの報道番組では、「東日本大震災」の出来事そのものが(まるでなかったかのように)特集のネタから外されている。「フクシマ記念日」の記憶を押しのけるように、今は原発再稼働の話が大手を振って闊歩しはじめている。「フクシマ記念日」の記憶と一緒に、その教訓から得た「40年ルール」のことなど、さっさと忘れてしまおう、という勢いなのである。
原発推進派のご都合主義がばらまく健忘症には、くれぐれも気をつけなければならない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます