論語を現代語訳してみました。
公冶長 第五
《原文》
子曰、孰謂微生高直。或乞醯焉、乞諸其鄰、而與之。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、孰〔たれ〕か微生高〔びせいこう〕を直〔ちょく〕と謂〔い〕う。或〔ある〕ひと醯〔けい〕を乞〔こ〕いたるに、諸〔これ〕を其〔そ〕の鄰〔となり〕に乞いて、之〔これ〕に与〔あた〕えたり。
子 曰〔のたま〕わく、孰〔たれ〕か微生高〔びせいこう〕を直〔ちょく〕と謂〔い〕う。或〔ある〕ひと醯〔けい〕を乞〔こ〕いたるに、諸〔これ〕を其〔そ〕の鄰〔となり〕に乞いて、之〔これ〕に与〔あた〕えたり。
《現代語訳》
〈直き心で "義" を貫いた伯夷と叔斉兄弟の話のあととして〉
孔先生はつづけて、次のようにも仰られました。
誰が微生高のことをまっすぐな人といったのだろうか。
ある人が彼の住まいにやってきて、お酢を借りようとしたところ、わざわざ隣のお宅までお酢を借りてきて、それをある人に与えたのじゃよ、と。
無いのなら正直に、ない、と言おう
〈つづく〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
まぁ、微生高のように、バカ正直な自分ではありますが、純粋に生きてさえいればそれで本望っちゃ~本望ですかね~(*´з`)
こうした、一種の相対的道徳(モラルジレンマ)が発生したときは、自分のおかれている立場や環境をしっかりと考慮することで、「自分はいま、何を為すべきか(=正道)」といった答えが見えてくるのではないでしょうか。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 微生高は尾生ともいい、女性と橋の下で会う約束をし、女性が来るのを待っていたが、川の水かさが増してきても微生高はあきらることはなかった。そして最期は溺死してしまった。
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考
※ イラストは『かわいいフリー素材集 いらすとや』さんより