和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:公冶長第五 〔24〕 孰か微生高を直と謂う


論語を現代語訳してみました。



公冶長 第五

《原文》
子曰、孰謂微生高直。或乞醯焉、乞諸其鄰、而與之。

《翻訳》
子 曰
〔のたま〕わく、孰〔たれ〕か微生高〔びせいこう〕を直〔ちょく〕と謂〔い〕う。或〔ある〕ひと醯〔けい〕を乞〔こ〕いたるに、諸〔これ〕を其〔そ〕の鄰〔となり〕に乞いて、之〔これ〕に与〔あた〕えたり。




《現代語訳》


〈直き心で "義" を貫いた伯夷と叔斉兄弟の話のあととして〉


孔先生はつづけて、次のようにも仰られました。


誰が微生高のことをまっすぐな人といったのだろうか。

ある人が彼の住まいにやってきて、お酢を借りようとしたところ、わざわざ隣のお宅までお酢を借りてきて、それをある人に与えたのじゃよ、と。




無いのなら正直に、ない、と言おう


〈つづく〉



《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

この語句の意味するところは、伯夷と叔斉兄弟のような「まっすぐな心の持ち主」に対して、微生高のような「バカがつくほどの正直者」との違いを、きちんと弁えろとする、孔子からの忠告のようにも思えます。

まぁ、微生高のように、バカ正直な自分ではありますが、純粋に生きてさえいればそれで本望っちゃ~本望ですかね~(*´з`)

こうした、一種の相対的道徳(モラルジレンマ)が発生したときは、自分のおかれている立場や環境をしっかりと考慮することで、「自分はいま、何を為すべきか(=正道)」といった答えが見えてくるのではないでしょうか。


※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 微生高は尾生ともいい、女性と橋の下で会う約束をし、女性が来るのを待っていたが、川の水かさが増してきても微生高はあきらることはなかった。そして最期は溺死してしまった。
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考
※ イラストは『かわいいフリー素材集 いらすとや』さんより


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