論語を現代語訳してみました。
公冶長 第五
《原文》
子曰、十室之邑、必有忠信如丘者焉。不如丘之好學也。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、十室〔じっしつ〕の邑〔ゆう〕にも、必〔かなら〕ず忠信〔ちゅうしん〕なること丘〔きゅう〕の如〔ごと〕き者〔もの〕 有〔あ〕らん。丘の学〔がく〕を好〔この〕むには如〔し〕かざらん。
子 曰〔のたま〕わく、十室〔じっしつ〕の邑〔ゆう〕にも、必〔かなら〕ず忠信〔ちゅうしん〕なること丘〔きゅう〕の如〔ごと〕き者〔もの〕 有〔あ〕らん。丘の学〔がく〕を好〔この〕むには如〔し〕かざらん。
《現代語訳》
孔先生はまた、次のようにも仰られました。
この広い世にあっては、小さな村々でさえも、私のような忠信〔まこと〕の心をもつ人物は居〔お〕ることであろう。
けれども、わたし以上に学をもって己の至らなさを悔い改めようとする人物というのは、決して、居〔お〕らぬであろうな、と。
〈おわり〉
公冶長 第五 おわり
戯言コーナー:いつもご覧いただき有難う御座います。(^^♪
『好む』を「己の至らなさを悔い改める」と語訳してみたわけですが、この背景には、己を省みることを「苦」と捉えるか、それとも「楽」と捉えるかで、大きく変わってくることだろうと思います。
このことをもって、おそらく孔子は、己を省みることを「楽(=好む)」と捉え、学ぶことによって得られる「善き心」を楽しんでいたのではないでしょうか。
さて、これにて公冶長第五が終わりましたが、いろんなお弟子さんや当時を生きた人物のことなんかも知れて、語訳していて楽しかったと同時に、色々と考え学ばせていただきました。
まだまだ先は長いですが、次回からは、以前に語訳させていただいた『聖徳太子の十七条憲法』の現代語訳の最新版を、綴っていきたいとも思います。(明日からの午前7時に投稿。午後は雍也第六です。)
今後とも、宜しくです(#^^#)
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考