論語を現代語訳してみました。
八佾 第三
《原文》
子曰、射不主皮。爲力不同科。古之道也。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、射〔しゃ〕は主皮〔しゅひ〕せず。力〔ちから〕を為〔な)すや科〔か〕を同〔おな〕じくせず。古〔いにしえ〕の道〔みち〕なり。
子 曰〔のたま〕わく、射〔しゃ〕は主皮〔しゅひ〕せず。力〔ちから〕を為〔な)すや科〔か〕を同〔おな〕じくせず。古〔いにしえ〕の道〔みち〕なり。
《現代語訳》
孔先生が、次のように仰られました。
射礼〔しゃれい〕のときは、的に矢が射れなくてもよい。ただし、集中することは大事だが、的を射抜こうとして力まかせに矢を放ってはいけない。
このことは、古よりずっと云〔い〕われつづけてきたことである、と。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考にしているが、決して両先生を否定するものではない