論語を現代語訳してみました。
八佾 第三
《原文》
子入太廟、毎事問。或曰、孰謂鄹人之子知禮乎。入太廟、毎事問。子聞之曰、是禮也。
《翻訳》
子 太廟〔たいびょう〕に入〔い〕りて、事毎〔ことごと〕に問う。或〔ある〕ひと曰〔い〕わく、孰〔たれ〕か鄹人〔すうひと〕の子〔こ〕 礼を知ると謂〔い〕えるか。太廟に入りて事毎に問う、と。子 之〔これ〕を聞きて曰〔のたま〕わく、是〔こ〕れ礼なり、と。
子 太廟〔たいびょう〕に入〔い〕りて、事毎〔ことごと〕に問う。或〔ある〕ひと曰〔い〕わく、孰〔たれ〕か鄹人〔すうひと〕の子〔こ〕 礼を知ると謂〔い〕えるか。太廟に入りて事毎に問う、と。子 之〔これ〕を聞きて曰〔のたま〕わく、是〔こ〕れ礼なり、と。
《現代語訳》
孔先生が、祭祀〔さいし〕を行うための廟において、その儀礼の内容を、事細〔ことこま〕かに尋ねられていました。そんな先生の様子を見て、ある人が次のように誹〔そし〕りました。
なんなのだ、あの鄹人の庶子〔しょし〕は。それでよくも礼を心得たなどといえたものだ。祭祀を行うための廟において、その儀礼の内容を尋ねるとは、と。
これを聞いた先生は、つぎのように仰られました。
事細かに尋ねるのも礼のうちであります。間違いがないように、確認することは大事なことですから、と。
※ 鄹とは、孔子の出生地のこと
※ 庶子とは、民の子という意味
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考にしているが、決して両先生を否定するものではない