和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:述而第七 〔3〕 是れ吾が憂なり


論語を現代語訳してみました。



述而 第七

《原文》
子曰、德之不脩、學之不講、聞義不能徙、不善不能改、是吾憂也。

《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、徳〔とく〕の脩〔おさ〕まらざる、学〔がく〕の講〔こう〕ぜざる、義〔ぎ〕を聞〔き〕きて徙〔うつ〕る能〔あた〕わざる、不善〔ふぜん〕 改〔あらた〕むる能〔あた〕わざるは、是〔こ〕れ吾〔わ〕が憂〔うれ〕えなり。




《現代語訳》


孔先生が、〈少し暗い面持〔おもも〕ちで、〉次のように仰られました。


〈ところがじゃ。さすがに若いころとはちがい〉徳がこの身につかなかったり、学を究〔きわ〕めることができなかったり、正道を聞いても行なうことができなかったり、悪行を犯す者を見て、それを改めさせる気力すらも沸いてこなかったりと、これら四つのことが、私の憂〔うれ〕いとするところなんじゃよ、と。

 
〈つづく〉



《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

この語句を語訳するにあたり、私が強く感じたことは、老いてしまった孔子の "本音" を深く考えますと、孔子は自身亡きあとのことを最もつよく、憂いていたのではないでしょうか。しかし、そのような "本音" というものを、直接、弟子たちに語ることに抵抗があって、あえて、老齢を理由にして憂いを述べたのではないか、と。

何より孔子は、雍也第六のなかで『中庸の徳』についても述べられており、この『中庸の徳』の中の "君子とは何か" については、雍也第六の冒頭も紹介させて頂いていますが、その中の一文、⑤ 如何に自分の思うように事が進まないからといって、決して怯んだり、嘆いたりをせず、その事象や事柄の中で黙々と生きていくことのできる人、と、この一文をもってすれば、孔子はそう簡単に老齢を理由にして、徳が身に付かないことや、善行を行なえないことをもって、憂いたり嘆いたりすることはなかったのだろう、と、そんな気がしてなりません。 

いずれにしましても、こうした孔子の心情を知ってか知らずかはともかくとしても、孔子亡きあとは、弟子らの懸命な働きによって、『論語』が生まれ、また孟子や荀子といった思想家が次々と誕生し、東洋思想及び哲学が開花していくことにも繋がっていたわけですからね。♪


※ 関連ブログ 是れ吾が憂なり
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考


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