和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:述而第七 〔4〕 申申如たり、夭夭如たり


論語を現代語訳してみました。



述而 第七

《原文》
子之燕居、申申如也、夭夭如也。

《翻訳》
〔し〕の燕居〔えんきょ〕するや、申申〔しんしん〕 如〔じょ〕たり、夭夭〔ようよう〕 如たり。




《現代語訳》


〈孔先生はさらに、次のようにも仰られました。〉


〈これまでの私なんかとはちがい〉私が "師" と仰〔あお〕いだ賢人は、家の中にあっては伸び伸びとされ、いつも楽しげであったなあ、と。


〈つづく〉



《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

この語句を語訳するにあたっては、いろいろと悩みましたが、あえて、一般的なものとかけ離れた(=無理があるかな?)語訳にしてみました。

通説では、孔子は15才のときに学に志したとありますが、しかしながら、孔子は誰を師として仰いでいたのかについては分かっていません。ですから、考えられることとしては独学ではなかったのか、ということなんですね。かつて、この日本においても、その生活が貧しかった二宮尊徳が、寺子屋の陰にかくれながら、先生の話を聞いていたという記述もありますし、当時の魯国の状況を考えれば(礼を重んじる国として)、寺子屋に似たようなものが多数、存在していたのかもしれません。

ともかくは、孔子は幼少のころよりずっと、学ぶことについての貪欲さは人並み外れだったんだろうということだけは、間違いはないのでしょうな。

そのような思いから、『是れ吾が憂なり』のなかで、孔子自身が憂いとしたこととして、自分が描く "師" というものの在り方が、現在の自分とはずいぶんちがうことへの、孔子の心情として、訳してみた次第です。


※ 関連ブログ 申申如たり、夭夭如たり
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考


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