未だ学を好む者を聞かず
「孔子対(こた)えて、曰(のたま)わく、顔回(がんかい)なる者有り、学を好めり。怒(いかり)を遷(うつ)さず、過(あやまち)を弐(ふた)たびせず。不幸短命にして死せり。今や則(すなわ)ち亡(な)し。未だ学を好む者を聞かざるなし。」
■その意味は?
孔子(先生)が〔「弟子の中で誰が本当に学を好むか」との問いに〕答えて言われた。
『顔回という者がおりました。彼は怒りを自分に関係のない者にまでうつさず、過ちを二度と繰り返しませんでしたが、不幸にも若死にをしまして、もうこの世には居りません。それからは、本当に学を好む者はいないようでございます。』
(「論語」一日一言より)
■感想
孔子(先生)と顔回との関係は、師と弟子というよりも、まさに "同志" そのものであった。そんな若き顔回の死というものは、次世代へと引き継いでくれる者の存在を失ったことへの孔子(先生)の悲しみがよく表わされている。
己の志を、きちんと受け継いでくれる者の存在というのは、実に尊いものであり、有難いものである。