論語を現代語訳してみました。
八佾 第三
《原文》
子夏問曰、巧笑倩兮、美目盼兮。素以爲絢兮、何謂也。子曰、繪事後素。曰、禮後乎。子曰、起予者商也。始可與言詩已矣。
《翻訳》
子夏〔しか〕 問うて曰〔い〕わく、巧笑〔こうしょう〕 倩〔せん〕たり、美目〔びもく〕 盼〔へん〕たり。素〔そ〕 以〔もっ〕て絢〔けん〕を為〔な〕すとは、何〔なん〕の謂〔い〕いぞや、と。子 曰〔のたま〕わく、絵事〔かいじ〕は素を後〔あと〕にす、と。曰〔い〕わく、礼は後か、と。子 曰〔のたま〕わく、予〔よ〕を起〔お〕こす者〔もの〕は商〔しょう〕なり。始〔はじ〕めて与〔とも〕に詩〔し〕を言〔い〕う可〔べ〕きのみ、と。
子夏〔しか〕 問うて曰〔い〕わく、巧笑〔こうしょう〕 倩〔せん〕たり、美目〔びもく〕 盼〔へん〕たり。素〔そ〕 以〔もっ〕て絢〔けん〕を為〔な〕すとは、何〔なん〕の謂〔い〕いぞや、と。子 曰〔のたま〕わく、絵事〔かいじ〕は素を後〔あと〕にす、と。曰〔い〕わく、礼は後か、と。子 曰〔のたま〕わく、予〔よ〕を起〔お〕こす者〔もの〕は商〔しょう〕なり。始〔はじ〕めて与〔とも〕に詩〔し〕を言〔い〕う可〔べ〕きのみ、と。
《現代語訳》
子夏さんが、「詩には『笑顔うるわし、眼元は涼〔すず〕やか、白粉〔おしろい〕の美しさ』とありますが、どういうことでしょうか」、とお尋ねになり、孔先生は次のように答えられました。
絵を描くときは、まずは色を塗り、そのあと、胡粉〔ごふん〕(白色の顔料)を色の間に塗って完成させるのじゃよ、と。
神農図(ウィキペディアより)
子夏さんが、さらにお尋ねになりました。
では、 "色" が学ぶことで "儀礼" は後でもよい、ということですか、と。
先生は、ニッコリ微笑んで、仰られました。
私の言わんとするところを、表してくれようとは。商(子夏)よ、お主となら詩を語り合えそうじゃよ、と。
〈つづく〉
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考にしているが、決して両先生を否定するものではない