「公」と言いますと、堅苦しいイメージがありませんか?
しかし人間は全てにおいて「公」を無視することは出来ません。
「公」とは人間がこの地球上で生きていく上で自然に生きることそのものなのです。
人間だけではありません。象や猿やライオンにも「公」が発生します。
「公」と「私」。
このバランス感覚をなくした動物は滅びる運命しかありません。
人間は世界中の至るところでこの「公」と「私」を発展させてきました。
それは土地柄(自然)や人柄(思想)に関係するものですから、当然異なった「公」と「私」が発達します。
わが国日本でも、「公」が発展しました。
それは永く縄文時代まで遡ります。
小さな集落の中で独自の「公」が成形されていきました。
貝殻を同じ場所へ固めて棄てる貝塚などは、当時の人たちが、貝殻をそこへ棄てるという公共性があったという証拠です。
そこから永く時代は変わり、神武天皇が初代天皇へ御即位され日本という国家が誕生しました。
しかしまだまだ各地に集落が点在する国家でしたので縄文・弥生時代から続く豪族が「公」を形成していました。
それを1つに纏めようとしたのが聖徳太子です。
太子は日本で初めての憲法を制定し、また隣国などの宗教、文化などを取り入れようとしました。その時、隣国にも引けを取らない、日本独自の「公」と「私」の形成を考えました。
それがよく伝わる内容となっているのが憲法でした。この憲法は日本が独立国家としての証であると共に、国家国民の民度の高さを形成する目的で作られました。
憲法最初の条文、「和ヲ以テ貴シト為ス」とは正に、隣国にも負けない、日本国民としての民度の底上げを計ったものであると私は考えています。
太子の考えは以降も、時の日本人達に守られ、更なる「公」と「私」を発展させてきました。
それの集大成と言うべきものが江戸時代に開花した武士道精神でした。
更に、明治維新後の文明開化に伴い、西欧文化を多く取り入れようとした時に、日本古来からの「公」と「私」を忘れまいとしたのが、教育勅語でした。
教育勅語には「公」と「私」のバランスが絶妙なカタチとなって書かれています。
戦後を向かえたわが国では、教育勅語を廃され、古来日本の「公」は軽視され失われようとしています。
冒頭にも言いましたが、「公」と「私」のバランス感覚を失わった者は滅びる運命にあります。
これまで、日本人に適した土地柄、思想を以て、「公」を発展し、「公」と「私」のバランス感覚を産み出してきたのです。
ところが「公」を軽視し、「私」を重視する西欧思想の考えがわが国に蔓延すれば、「公」と「私」のバランスが崩れ、いずれ日本人がこの日本国で生きていくことは出来なくなるでしょう。
[GREE日記 皇紀:2672年5月18日より]
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