われわれ日本人は、神々に手を合わせ、仏に手を合わせ、そして人に感謝する時も手を合わせます。
この基礎を築いた人こそ、聖徳太子なのです。
聖徳太子を否定することは、われわれ自身が先人や祖先から受け継いだもの全てを否定することにもなるのです。
神道を敬う人、仏教を敬う人、それは各家族との繋がりの中では重要なことであります。
そして、それらは決して対立してはいけません。
もし仮に、わが国が神道のみの国柄だった場合はどうなっていたでしょう?
もし仮に、わが国が仏教のみの国柄だった場合はどうなっていたでしょう?
おそらくは早々に大国からの侵略を許していたかも知れませんし、おそらくは内部から新しきリーダー(独裁者)が誕生し、支那のように国家が幾度となく変わり、過酷な運命を虐(シイタ)げられていたかも知れません。
何にせよ二六○○年以上もの歴史は続いてはいなかったでことしょう。
現代人は「十年ひと昔」とよく言います。近年では「三年ひと昔」とも…。
しかし、考えてください。大化の改新から明治維新までの歴史を。
その間の歴史は、約一四○○年でありますが、そんなに変わり映えしなかったように思います。平安時代から江戸後期までの庶民の暮らしなんて、様々な資料を見る限り、ほとんど変わりませんよね。
時には争いや災害などがありましたが、すぐに落ち着きを取り戻し、ゆっくり、ゆっくり時間をかけ、聖徳太子の教えが伝わっていったのです。
「聖徳太子」、われわれ日本人には馴染みの深い人物ではありますが、それは死後に名付けられた名称であります。
生前中は厩戸(ウマヤドノ)皇子と呼ばれていました。
推古天皇の下、摂政に任ぜられた皇子は、まだまだ豪族の力が強かったわが国をひとつに纏めるために、「冠位十二階」と「憲法十七条」を制定されました。(中央集権国家の樹立)
そして当時の大陸国家に対し、毅然とした対応を取ることにより、我が国が独立国家「日本」であることを世に広められたのでした。
そのような偉大な功績を讃え、後生の人々によって「聖徳太子」と呼ばれるようになったのです。
太子生前中、神道と仏教の対立は、当時酷いものでした。
神道系の物部(モノノベ)氏や、仏教系の蘇我(ソガ)氏などが争っていました。
結果、争いに勝利した蘇我氏が、仏教主導の政治を行おうとしましたが、太子はそれを許さず、蘇我氏の朝廷での権力を削ぐために「冠位十二階」と「憲法十七条」を制定されたのです。
われわれは聖徳太子=仏教と、小学校などで教えられましたが、全くの誤りだったのです。
蘇我氏の思想の押し付け、独断の押し付けは国家国民の為にならないことを、太子は見抜いていたわけであります。
こうした太子の政策は、"和"の心だけでなく、"公"の精神をも、世に広めるきっかけとなりました。
憲法十七条とは、"公"に従事するものだけに与えられた決まり事とする現行憲法(日本国憲法)のようなものではなく、国民全てが「"公"の下に平等である」という考え方になっていったのであります。
太子の目標とされた以上の結果が、永い年月をかけ、名も知らぬ先人たちにより、わが国の精神中枢となっていったたわけであります。
聖徳太子が示されたものを、さらに進化させ、より善きモノとなって開花したものが、武士道精神であり、明治憲法であり、五箇条の御誓文であり、教育勅語であります。
ここに公人、私人の別け隔てなく、国民総平等である日本的秩序が構築されたわけであります。
その考え方は、当時秩序やモラルの最先端を走っていた西洋緒国の人々も驚いたほどでありました。
"法"の下に平等、法とはその時代、その時代に動くものであり、動くものの下に平等など存在しません。
しかし"公"の下に平等という考え方は、公とは動かないものであります。動かないものがあるからこその平等であり幸福であり平和なのです。
動かないものとは、信念や理念であり、わが国の土台となるものなのです。
よって、私なりの解釈ではありますが、現行憲法(日本国憲法)と戦前憲法(大日本帝国憲法と憲法十七条)との違いは、国民が"法"の下に平等なのか、"公"の下に平等なのかの違いだと考えますし、どちらが真の平和(民主主義)憲法であるのかは、ひとりがひとりが善に考えれば答えは見えてくるのではなでしょうか?
[GREE日記 皇紀:2673年12月7日より]
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