論語を現代語訳してみました。
里仁 第四
《原文》
子曰、里仁爲美。擇不處仁、焉得知。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、仁〔じん〕なるに里〔お〕れば美〔び〕を為〔な〕さん。択〔えら〕んで仁に処〔お〕らざれば、焉〔いずく〕んぞ知〔ち〕たるを得〔え〕ん。
子 曰〔のたま〕わく、仁〔じん〕なるに里〔お〕れば美〔び〕を為〔な〕さん。択〔えら〕んで仁に処〔お〕らざれば、焉〔いずく〕んぞ知〔ち〕たるを得〔え〕ん。
《 はじめに 》
孔先生が活躍されていた時代には、他にも多くの賢人・聖人と呼ばれた人物がいました。そのうちのひとりが、呉の人・季札〔きさつ〕という人物です。
季札は、呉国の君主の四男として生まれており、ゆくゆくは君主として期待されていたのですが、頑〔かたく〕なにそれを拒みつづけ、放浪人〔ほうろうにん〕として各地を巡るようになりました。
季札
そして季札は、その人生を終えるまでずっと、君主の座に就くこともなく、ただひたすらに大道〔たいどう〕を求めたのでした。
呉の国は、中原〔ちゅうげん〕から遠く離れていたこともあり、中央の国々と比較しても、どうしても文化的に劣る傾向が強かったのですが、賢人・季札が誕生したことによって、文化的向上も進んでいき、季札死後の呉の国は、めきめきと国力を増していきます。
(ウィキペディアより)
このような賢人・季札のことですから、孔先生はきっと、季札のことをご存じだったでしょうし、何かしらの影響を受けていたはずです。
また、別の云い伝えによれば、「季札は孔子の師であった」、とも言われており、今回、現代語訳させていただく『里仁』というのは、長年にわたって各地を放浪しつづけてきた、季札の祖国を想う心が、弟子である孔先生へと受け継がていたんではなかろうか、とさえ思えてくるのです。
里仁 第四
《現代語訳》
孔先生が、つぎのように仰られました。
心穏やかで真心に満ちた場所で暮らせば、自分自身もそれに倣〔なら〕い、心穏やかで真心に満たされるようになるだろう。
けれども、利を択び、仁なる場所を去るというのであれば、それでどうして賢人といえようか、と。
※ 関連ブログ 仁に里るを美と為す
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考にしているが、決して両先生を否定するものではない