論語を現代語訳してみました。
八佾 第三
《原文》
祭如在。祭神如神在。子曰、吾不與祭、如不祭。
《翻訳》
祭〔まつ〕れば在〔いま〕すが如〔ごと〕し。神ゞ〔かみがみ〕を祭れば神ゞ 在すが如し。子 曰〔のたま〕わく、吾〔われ〕 祭りに与〔あずか〕らざれば、祭らざるが如し、と。
祭〔まつ〕れば在〔いま〕すが如〔ごと〕し。神ゞ〔かみがみ〕を祭れば神ゞ 在すが如し。子 曰〔のたま〕わく、吾〔われ〕 祭りに与〔あずか〕らざれば、祭らざるが如し、と。
《現代語訳》
ある人がつづけて、「祖先を祭る祭祀〔さいし〕ならば、ご先祖様がそこにおわすように。神々を祀る祭祀ならば、神々がそこにおわすように」と述べられて、孔先生が次のように仰られました。
仮に、祭祀に参加できなかった場合でも、私の心の中には、いつでもご先祖様や神々がおわしているのだ。
だからきちんと、お祀(祭)させていただくことができる、と。
〈おわり〉
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考にしているが、決して両先生を否定するものではない
※ イラストは『かわいいフリー素材集 いらすとや』さんより