四天王寺 第百十世管長 出口順得氏のお話より・・・
以下。
【第四回】十七条憲法の教えを世界に
前回は聖徳太子がつくられた「十七条憲法」の最初の部分についてお話をしました。
第一条で語られていることは、この世の中で"和"が最も大切であるということです。
第二条は自分より知恵のある人、皆さんにとっては先生を敬いなさいということであり、第三条は和たちの住む国、日本を愛しなさいということが書かれています。
何においても、世の中が平和であることが理想であると聖徳太子は仰っています。ところが、これは一番難しい。
テレビのニュースを見ると、毎日のように殺人事件があり、どこかの国で紛争があり、あるいは核兵器の実験をしたりしている国もあります。
どうしてでしょうか?
人は素直な心[仏性]をもって生まれてきます。しかし、その素直な心を歪ませる毒が三つあると仏教では教えます。
「貪・瞋・癡(トン・ジン・チ)」で、これを「三毒」といいます。
分かりやすくいえば、貪(ムサボ)る心、怒る心、愚かな心です。
大好きなケーキを毎日食べたいと思います。でも許してくれないお母さんに対して怒ります。ご飯よりも毎日ケーキを食べたいなと愚かな考えをもちます。
この「貪・瞋・癡」は心の中にいつも生じていることなのです。
仏教ではこの「三毒」を捨てなければ、正しい人間にはなれないと教えます。
聖徳太子もそのことはご存知でした。だから、十七条の憲法の中でもこの「貪・瞋・癡」について戒めておられます。
第五条には「貪りを捨てなさい」とあります。
お金が沢山欲しいと思って、例えば人を騙したりする。貪るということは、モノにとらわれてしまい人としての心を忘れてしまうということです。
怒りについては第十条に書かれています。「※念(イカ)りを絶ち、瞋(イカリ)を棄て、人の違うを怒らざれ」 最初の言葉にあります。さらに、自分も相手も共に「これ凡夫なり」としています。
怒りとは何でしょう?
自分の意見や行動が正しいと思っているから、人の意見に反発したり、違う行動をする人に怒りを感じてしまうのです。
しかし、相手にしれみれば、悪気はなかったり、自分の方こそ正しいと思っているはずです。
人は賢いとか、愚かであるとか決められない丸いイヤリングの端がないのと同じである。と聖徳太子は仰いました。
人は皆、凡夫(普通の人)です。怒りたくなる前に、まず自分自身をかえりみて、人の意見に耳を傾けるということが大切なのです。
「癡」については最後の第十七条で戒められています。
「それことは一人断(ダン)ずべからず。必ず衆(シュウ)とともによろしく論ずべし」とあります。
十条に少し似ていますが、「大事なことを決める時、独断してはいけない。必ずみんなと相談しなさい」といわれました。
一人で考え、それが間違っていたら、いろんな人に迷惑をかけることになります。分かっているようで分かっていないことも多いのです。
「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがありますが、独断の愚かさについてお話されています。
国もそうです。日本は民主主義の国です。王様が全てを決めるのではありません。多数決によって物事が決められます。
こうした考え方の歴史を、日本は千四百年もの昔から持っていたということです。
このように"和"の世界を実現していくために人はどうあるべきか。ということが十七条憲法には書かれています。
人間は欲望や感情に左右される弱い生き物です。
五条、十条、十七条にある「貪・瞋・癡」への戒めも、一人ひとりが心していかなければならないことでしょうか。
私は"和"の心を大切にする十七条憲法を現在の憲法にしても良いと思っています。
現在の日本国憲法は、第二次世界大戦後、この国に駐屯していたアメリカ人がたった二週間ほどでつくったもので、英語で書かれていました。
それを日本語に訳して、今の憲法が生まれました。
日本国憲法といいながら他の国から与えられた憲法なのです。
憲法もそうですが、進駐軍が行ったのは、日本人の意識を変えるということでした。
テレビやラジオ、新聞などを使って、今回の戦争の責任はすべて日本側にあり、日本は悪い国であったという意識を国民に植え付けたのです。
学校の教科書もたくさん墨で塗られ、神様たちの神話や日本の歴史など、ほとんど消されてしまいました。
つまり、終戦までの日本が進んできた道や教育は間違いであると子供たちに教え込みました。
第二次世界大戦も日本の侵略戦争であったと徹底して教育されました。しかし、本当のところはどうだったのでしょうか。
戦争のきっかけは、アメリカ、イギリス、オランダ、中国が共同し、日本に対する経済封鎖を行いました。つまり、石油などを日本に輸出しないようにしました。
その件についてマッカーサー元帥は、昭和二十六年アメリカ上院の委員会で次のように証言しています。
「日本は、絹産業以外、固有の産物はほとんど何もない。彼らは綿も羊毛も石油も錫もゴムも、その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切がアジアの海域に存在していたのです。もし、これらの原料の供給が断たれたら、日本国内で一千万人から一千二百万人の失業者が出ていたでしょう。日本はこれを恐れていました。したがって、日本が戦争に突き進んでいったきっかけは、大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだった。」
そんな証言があるのに、戦後の教育を受けた国民の多くは、やはり日本の侵略戦争であると考え、この国に対する誇りを失ってしまいました。
戦勝国が与えた歴史ではなく、正しい歴史を私たちは知らなくてはいけないと思います。
憲法もそのとおりです。
私たちの国には、日本人がつくった十七条憲法があります。
これは世界の憲法にしてもいいのではないかと、私は思います。
平和を愛さない国なんてどこにもありません(一条)。宗教の違いはあっても、世界の国々が自国の宗教を敬い、お互いの宗教を認め合えば、宗教戦争はなくなります(二条)。
そして、元首(国を代表する人)を敬い、国内が一つにまとまれば、やがて世界平和が生まれるのではないでしょうか(三条)。
十七条憲法とは、それほどに完成された憲法なのです。
つづく…。
※正確には上部が「分」、下部が「心」という漢字になります。