四天王寺 第百十世管長 出口順得氏のお話より・・・
以下。
【第五回】敬いの心を持ちましょう
クイズです。江戸時代の日本人は世界的に見て、とても優れた能力をもっていました。さて、それは何でしょう?
正解は、文字を読み書き出来る力です。「識字率」といいます。
十八世紀前後のヨーロッパではイギリスが最も進歩していましたが、国民の識字率は二十%ほど。ところが、江戸時代の識字率は約五十%です。町には本屋があり、「東海道中膝栗毛」や「南総里見八犬伝」が大人気でした。
本屋の店先で立ち読みをしている人もいて、それを見たイギリス人外交官は「ロンドンでは見かけられない光景だ」と驚き、「こんなに頭の良い国民がいる国を植民地に出来ない」と諦めたということです。
学校がなかったのに、なぜ日本人は文字を読み書き出来たのでしょう。
それは「寺子屋」のおかげです。寺子屋は庶民の子供たちを対象にした塾のようなところです。主に、お寺のお坊さんが先生代わりでした。そこでは生活のために必要な読み書き、そろばん、道徳を教えていました。
江戸時代の中頃、寺子屋は全国で六万軒あったといいます。現在、小学校は二万二千五百校ほどですから、町や村のあちらこちらにあったということになります。
その寺子屋も江戸時代の終わりと共になくなってしまいました。
幕府から明治維新政府に代わり、政治の仕組みや文化、技術を外国から沢山取り入れました。これを「文明開化」といいます。
子供たちのためには、フランスの教育を真似て学校制度がつくられました。
寺子屋の教えと比べて、一番大きな違いは、道徳的なことを教えなくなったこと。
フランスは百年ほど前に、民衆が革命を起こし、威張っていた貴族や聖職者から、自分たちの自由を取り戻した国です。そういう過去があり、政治・教育と宗教を一つにしないという考え方ですから、日本の学校でも宗教的な教えは禁止されました。
しかし、そうすると勉強は出来ても、人として大切なことは何かを知らない子供が増えていきます。
学校制度が始まり、二十年ほど経って、やはり宗教教育は必要だという意見が出ました。
ただし、問題があります。日本には神道、仏教、基督教などがあり、どの宗教を選んでも、別の宗教が反発します。政府も苦心し、結果的に出来たのが、明治二十三年の「教育勅語」です。
勅語とは「天皇のお言葉」という意味です。
神仏は出てきません。
しかし、どの宗教にも通じる内容のものでした。
教育勅語の中に「よく忠に、よく孝に、億兆(オクチョウ)心を一(イツ)にして」とあります。"忠"とは私たちが住んでいる國に真心をもって尽くすということ。
"孝"は親孝行の意味です。ご両親だけではなく、お爺ちゃん、お婆ちゃんなど、ご先祖様を敬うということ。
そして「億兆心を一にする」というのは、日本国民全体が心をひとつにする。つまり聖徳太子の教えである"和"の精神です。
これが教育勅語の中心です。
さらに、夫婦は仲よく、兄弟姉妹は互いに助け合い、友だち同士は信じ合う。そして、もし、この国に非常事態が起こった時は勇気を出して、国を守ろうということが書かれてあります。
教育勅語は明治二十三年から昭和十年までの約五十五年間、学校で読まれていました。
どの生徒たちも深々とおじきをし、先生が読み上げる言葉に耳を澄ませていました。
私も終戦前は、国民学校生(昭和十六年から二十年間は、小学校を国民学校といいました)で、頭を下げたまま教育勅語を聞いていました。
当時は言葉の意味なんかさっぱり分かりませんでした。
しかし、"けじめ" というのが自然と身につきます。先生のいうことも、親のいうこともよく聞くようになっています。
頭を下げているだけで、"敬い"の心が生まれてくるのです。
皆さんがお仏壇の前で手を合わせる時、自然に"祈り"の心が芽生えてくるのと同じです。言葉や理屈ではなく、カタチから入り、自分の心を見つめることが本当の宗教教育ではないかと思います。
戦争が終わり、日本を占領した進駐軍は、学校が行ってきた教育を全て改めました。"洗脳"という言葉がふさわしいかもしれません。
教育勅語も廃止になりました。日本人の心に悪い影響を与えると考えたからです。
しかし、全ての外国人が同じ考えだったわけではありません。戦後、ドイツのアデナウワー首相はドイツ語に訳された教育勅語に感動し、その額を執務室に置いたそうです。
自分たちの国を愛し、親孝行し、兄弟友だちと仲よくし、心をひとつにする。
世界でも共通する考え方です。
寺子屋から教育勅語へと続いた宗教教育が行われなくなり、六十年以上が過ぎました。
学校はどんどん荒れていきます。外国もそうでした。アメリカ、イギリス、フランスも教育と宗教を切り離した国ですが、次第に子供たちの非行が増え、二十数年前から、私立、公立に問わず、どの学校でも宗教の授業を取り入れるようになりました。
宗教教育の復活がない日本の学校では、非行はもちろん、不登校やいじめ、学級崩壊が広まり、身勝手な文句を先生にいう親たちも多くなってきました。
心の病気になる先生方も増えています。
なぜ、こうした問題がおきるのでしょうか?
敬いの心を忘れているからです。親に、ご先祖様に、先生に対しても尊敬するという気持ちがありません。
私は今こそ、日本の学校に教育勅語という宗教教育を復活させるべきではないかと考えています。
敬いの心を育むことが、今の教育に一番必要なことではないかと思います。
皆さんも先生を敬ってください。
真剣に聞けば、先生も一生懸命に答えてくれます。
真剣に教え、教えられる関係が出来れば、それはお互いの成長に繋がるはずです。
つづく…。