四天王寺 第百十世管長 出口順得氏のお話より・・・
以下。
日本にこのような素晴らしい人物がいたことを學び、誇りを持って頂きたいと思います。
【第一回】有難うの心を持ちましょう
皆さん、初めまして。四天王寺の出口順得と申します。私は、日本人のこと、私たちのお寺、四天王寺をお建てになった聖徳太子のことなどについてお話しをさせて頂きたいと思います。
さて、皆さんは聖徳太子という方を知っていますか。まだ知らない人も、きっといつか歴史の授業を習うはずです。これは予習のつもりで読んで下さい。
聖徳太子は日本が倭国(わこく)と呼ばれていた時代、今から千四百年以上も昔に生きた人です。千四百前、この国は奈良の飛鳥(あすか)に都がありました。そして、大陸から仏教が入ってきて間もないころです。
それまでの日本人は大きな山や滝、岩などにいるという神様を信じていました。だから、新しい宗教が入ってことに猛反対する人たちがいました。神様を信じるか、仏様を信じるかで国が二つに分かれていた時代です。
そんな混乱の時代に聖徳太子は生まれました。名前は“厩戸(うまやど)”といいます。お父さんは第三十一代の用命天皇です。だから、みんなは“厩戸皇子”と呼んでいたようです。
実は、聖徳太子という名は、百年も二百年も後の時代の人々がつけた名です。なぜそんな名にしたのかといえば、厩戸皇子が生きているの行いを知り、誰もがびっくりしたからです。観音様の生まれ変わりだと信じる人もいたくらいです。
そんな神様や仏様のように偉い方を名で呼ぶのは失礼だということで、最高の徳(とく=素晴らしい人)を意味する“聖徳”の尊称がつけられ、聖徳太子の名が広く知れ渡るようになったというわけです。
どんなことをされた方なのか、どれほどに偉かったのか、皆さんも気になると思いますが、それはこれから何回かにわけてお話ししていきたいと思います。少し前置きが長くなりました。第一回目は聖徳太子が世の中をどう見ていたか、聖徳太子の考えのもとについてご紹介います。
ちょっと難しい言葉ですが、覚えて下さい。
聖徳太子は、「世間虚仮(せけんこけ)、唯物是真(ゆいぶつぜしん)」と仰られました。今の言葉でいうと「世の中は虚しく、仮(かり)のものである。ただ仏様だけが真実である。」ということです。
「えー、そんなことないよ。僕は毎日楽しいよ」と、皆さんは思うかもしれません。でも大人になるほどに、力をつけていくほどに、悩みや苦しむこともきっと多くなると思います。それは“欲”というものが出てくるからです。
例えば、将来は毎日美味しいものを食べ、大きな車を買って、広い家に住みたいと考えたとします。そのためには沢山のお金が必要です。では、お金持ちになるためはどうするか。有名な大学に進学して、お給料の良い大きな会社に入り、夜遅くまでバリバリ働いても・・・。
でも本当にそれで幸せでしょうか。お金持ちになれても、心は貧しくなっていくのではないでしょうか。或いは、無理をして、身体を壊すかもしれません。
聖徳太子が一番大切にされたのは、“和”の心です。
しかし、一度“欲”に囚われてしまうと、自分中心になり、ズルいことをしてでもお金を沢山増やそうとします。会社と会社の関係でいえば潰し合いになりますし、国と国の関係でいえば戦争ということにもなります。“欲”はお金だけではありません。皆さんのまわりでイジメはありませんか。イジメるということも相手より強い立場に立ちたいというひとつの“欲”なのです。自分さえ満足出来れば他人はどうだっていいという自分中心の考え方、弱い奴が悪いんだという差別的な考えが。今の世の中に色んな歪みを生み出しています。
そして、“欲”は決して満たされません。その時は満足しても、次の“欲”が出てきます。その繰り返しです。
やがて、疲れ果ててしまい、最後に残るのは虚しさだけです。だから、聖徳太子はこの世の中真実はない「世間虚仮」と仰られました。
では、「唯物是真」とはどういうことでしょう。
この世の“欲”を貪(むさぼ)り続ければ、虚しいだけですが、仏様というただひとつの“真(まこと)”心の真ん中におけば、安らぐことが出来る、心を豊かに生きることが出来るということです。
これを宗教心といいます。
難しく考える必要はありません。それは当記事を読んでいる皆さんは、ご飯を食べるとき、いつも手を合わせていると思います。そして「いただきます」と声に出して言いますよね。
それが感謝の基本です。
いただくというのは、料理を作ってくれた人、お米や野菜、お肉やお魚を育ててくれた人に対する感謝であり、そして、この世に二つとない大切な命を頂戴しますということです。牛や豚や鶏、お魚も野菜もみんな生きています、その命をいただくことで、私たちは明日を生きることが出来ます。
だから、感謝の心を声に出して「いただきます」というのです。
また、皆さんがこの世にいるのは、お父さん、お母さんがいたからです。ご両親にもそれぞれ親がいて、さらにその親にも親がいます。タイムマシンで三十世代まで辿っていけば、皆さんは十億人以上のお爺ちゃん、お婆ちゃん達と出会うはずです。
難しいお経なんかひとつも覚えなくていいんです。ただ、仏壇やお墓の前で手を合わせ、心の中で「ありがとう」というだけでいいんです。
それだけで苛々(いらいら)していたり、不安だったりした気持ちはすっとおさまり、なにか大きなものに守ってもらっている。そんな気持ちになれると思います。
それが安らぐということ、心豊かに生きるということです。
つづく・・・。
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