論語を現代語訳してみました。
公冶長 第五
《原文》
子在陳、曰、歸與、歸與。吾黨之小子、狂簡、斐然成章、不知所以裁之。
《翻訳》
子 陳〔ちん〕に在〔あ〕りしとき、曰〔のたま〕わく、帰〔かえ〕らんか、帰らんか。吾〔わ〕が党〔とう〕の小子〔しょうし〕は、狂簡〔きょうかん〕にして、斐然〔ひぜん〕として章〔しょう〕を成〔な〕せども、之〔これ〕を裁〔さい〕する所以〔ゆえん〕を知〔し〕らず、と。
子 陳〔ちん〕に在〔あ〕りしとき、曰〔のたま〕わく、帰〔かえ〕らんか、帰らんか。吾〔わ〕が党〔とう〕の小子〔しょうし〕は、狂簡〔きょうかん〕にして、斐然〔ひぜん〕として章〔しょう〕を成〔な〕せども、之〔これ〕を裁〔さい〕する所以〔ゆえん〕を知〔し〕らず、と。
《現代語訳》
孔先生が、陳〔ちん〕の国に滞在していたとき、うろたえたご様子で、次のように仰られました。
「魯〔ろ〕の国へ帰ろうか、帰ろうか。わが郷里〔きょうり〕の小子(=青年)たちは、やたらと大言壮語〔たいげんそうご〕し、きれいごとの理屈でもって領民の心を惑〔まど〕わそうとしておる。
乱れた世にあって、民への真心を有していない者が、どうしてその心をつかむことができようぞ」と。
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
どうして自分は大阪なんぞで暮らしてるんだろう?生まれ育った奈良の吉野へ帰りたいな~、とは常々思うのだけれども、まだまだ、この慣れない地で、過去の反省の日々を送らんととあかんからな~(;´・ω・)
で、ある意味、牢屋の中の囚人みたいな感じで、自由も権利も制限されてて、ほんまある意味やけど、心地良かったりもするから不思議だよね~(*´з`)
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考