普段私のブログにアクセスしてくださる方は、フレンチ・ポップス(シャンソン)やカンツォーネがお好きな方が多いようです。また、「いいね」などを押してくださる方は「ブログ友達」と言って良いような方が多いのでしょう。
どちらの方々も、誤字脱字も多いし勝手な意見や偏った趣味を綴るだけのこのブログにお付き合いくださって、本当に心からのお礼を申し上げます。
さて、日本風にカテゴライズされた「シャンソン」は先輩諸氏がご指摘のとおり決してフランス語の「chanson」とは全く違った意味を持っています。
ですから、私のように「chanson」が大好きで、とりわけ1960年代や1970年代の『私自身が青春であった時代 』に出会った歌の数々は特別に好きです。
しかし、この時代はアメリカナイズされた若者の文化の存在感が大きくなり、ビートルズに代表される8ビート、16ビートのリズムが若者の音楽を席巻した時代。加えて、フランスは「イエイエ」と言われる「合いの手」を多く使った歌詞を歌う「若い女の子の歌手」シルビィ・バルタンやフランス・ギャル、シェイラ、マージョリー・ノエル、ヴィッキー・レアンドロスなど、年上の人からは・・・今でも・・・ノスタルジー以外には余り好意的な評価は聴かれない時代です。特に、日本の「シャンソン」ファンからは『古き良き時代の歌は良いけれど、このイエイエ世代は頂けない・・・』と言われているようですし・・・
でも、こればかりは個人の好みですから、何を言われても好きなものを好きと言えば良いだけですね。
そこで、ふと思ったのですが、『古き良き時代の歌・・・』という表現はしばしば聞きます。なかなか良いフレーズです・・・が、『古き良き時代』とは何時なのでしょう?多分個人個人の思い出や、思想信条や、ちょっとした感情などで一人ひとり異なるのでしょう。
ということは、「古き・・」や「良き・・」はあっても「古き良き・・」は勿論共通項としては存在しないと言って良いのではありませんか?
なぜこんなことを言うかと言えば、次第に年を取って来ると、過ぎ去った時代・・・特に自分が一番希望に満ちて自分の上にはひたすら青空が広がっている時代こそが「良き時代」であり、それは「今」であれば良いのですが残念ながら、たいていの場合は過去にしかなく「古き時代」を懐かしむばかりになってしまいます。
そこで反省・・・「今」こそが希望に満ちた時であるような生き方をしよう・・・と、まあそう思った訳ですが、さてどうなるか・・・
1965年発売の『乙女の涙』のB面にカップリングされた、邦題:『めぐみの雨』
Chantal Goya -- La pluie du ciel