3月11日は、日本基督教団の各地域や諸教会で、東日本大震災をおぼえて祈る集いが持たれました。枚岡教会では、毎木曜日にもたれる「聖書のおはなし」のプログラムを変更して、本日、記念礼拝をおこないました。
教団の式文に沿って参加者たちと共に祈り、被災地のことを思い巡らしました。
問題は今も山積していますが、主なる神が、政治の指導者をはじめ、働き人たちに良き知恵を与えてくださるように祈ります。
祈り①:今も続く震災による痛みの中にある方々の慰めと助けのために
主よ、私たちの嘆きの祈りを、その憐れみをもってお聞きください。主よ、私たちは3年前のあの時から、多くが変わってしまいました。多くの命が失われ、未だ見つからぬ人も多くいます。未だ多くの人々が、その喪失の深淵から逃れられません。多くの人々が住む場所を追われ、仮住まいの身になりました。命ともいえる土地、あなたからの恵みである財産、誇りとした生業(なりわい)、豊かな隣人との関係、そのすべてを失いました。多くの人々が、不安の中に在ります。自らと家族の生活の未来、放射能による健康被害、続く余震、同様の自然の猛威、未だ、その怖れと不安から逃れる術(すべ)をもちません。
震災後、新たな絆(きずな)によって結ばれた私たち。しかし私たちの社会には、そして被災地には、未だ様々な分断が存在します。復興の格差、保障の格差、震災への向き合い方、放射能・原発の考え方、経済の成長と弱者の救済、それらの違いによって、傷つくことがあります。どうぞ主よ、貧しき我らの祈りをお聞きください。愛の主平和の主よ、私たちを憐れんでください。その憐れみをもって、私たちを癒(いや)し正しき道へと導いてください。主よ、どうかこの嘆きの祈りを、憐れみをもってお聞きください。
祈り②:
被災者・被災教会・仕える者・それらを支える教会のために
主よ、私たちの御前での祈りを、慈しみをもってお聞きください。心ならずもあなたの御許へと先立った、全ての犠牲者のことを想います。どうか、あなたの御許(みもと)に在ってその安らかなることを祈ります。未だ癒えることのない痛みと、数々の不自由さ・憤りと怒りの中に在る、全ての被災者のために祈ります。どうか慈しみと愛のあなたが、その一人一人を探し出し抱き上げ、この日常の中を共に歩み続けてください。会堂が傷つき、その枝である会員が痛んでいるあなたの体である教会のために、それに被災の地にあって仕える教区と教会ために祈ります。どうか、その全ての癒(いや)しを乞い願います。その存在と働きとによって、その地域にあなたの慰めと癒(いや)しとが顕わされますように。仙台・石巻・遠野の地に在って、復興の労苦にある人々に寄り添い続ける、教団・教区の被災者支援の人々のために祈ります。被災地と被災された方々、放射能とそれを取り巻く社会は日々変化し、その中で共に歩むことは、痛みを分かつとともに無力さと憤りとに向き合うことなのでしょう。どうか彼らとともに、あなたがいつも先立って進み、無力さを謙虚さへ、憤りを希望へと導いてください。その業が、御目に豊かに映りますように。
被災教会・被災者支援の業を支える、現地と全国・世界の教会のために祈ります。私たちが祈りと想いを尽くして、その業を支えてゆくことができますように。祈りと捧げものを通して、この業に直接的に関わることが許されますように。主よ、どうかこの祈りを、慈しみをもってお聞きください。