旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

河津桜と富士山、高松山【神奈川県】

2024-02-16 19:36:14 | 神奈川県の山
久しぶりの山歩きは、河津桜が咲いているという松田山ふもとから高松山をめぐってきた。

山行日:2024.02.14(水)  単独行
コース:小田急線新松田駅~西平畑公園~最明寺史跡公園~尺里~高松山~ビリ堂~高松山入口バス停・・・JR御殿場線山北駅・・・松田駅・新松田駅

JR南武線武蔵溝ノ口06:04発で登戸06:12へ。
小田急線登戸06:22発の新松田駅行きに乗り、07:25着。
なんとも順調な移動。

駅の改札を出たらすぐ脇に『まつだ桜まつり』会場までを案内するのぼり旗があった。
それを目印にノンビリ歩く。
平日の朝だからか駅には生徒さんたちがいても通りを行く人がいない。



(二宮金次郎の銅像)
かつては小学校の庭でよく見かけたものだが、今は目にしない。
その昔は歩き読書、現代は歩きスマホといったところか!
どちらも危険な行為にちがいない・・。


まつり会場は入場料が必要のようだが、開始時間前でゲートも開いていて散策できるようになっていた。
いろいろな角度から鳥の鳴き声が聞こえてくる。
”ウメにウグイス” ”サクラにメジロ”と言葉には出てくるが、メジロを撮ることはできなかった。
サクラや富士山を眺めながらのんびりと朝食を摂った。





(鳥の名は不明)


(ありきたりの構図)








富士山遠望は十分に満喫した感がして、なんならここで終了としても良いかなとなってくる。
それにしても、どこでもそうだが、祭りの会場となるとどうしていろいろな音楽などを流したりするのだろうか?
音の押し売りは大きなお世話。
わたしには騒音としか思えない。
よけいな提灯なども下げなくていい。

咲き誇る花、その間を抜ける風の音、かおり、のびやかな空間などを堪能したいのに。
いにしえ人は、松を涼暮草(すずくれぐさ)と、松風の音を松韻(しょういん)と呼んだという。
その細やかな思いにあこがれ、あやかりたい。

最明寺史跡公園を目指して奥へと進む。
そこまでは約1時間の距離。
まずはコキアの里への道案内に従う。





(山道にあった有害獣侵入防御ゲートを抜ける。)
このゲートは、他の箇所にも設置されている。


舗装道路に出て、長い長い上りを行くことになる。



(コンクリート杭が敷かれたような道がかなり続く。)


とにかく飽きるほど舗装道を歩いて、最明寺史跡公園に到着。



(入口に置かれたチェーンソーアート)


設置されている案内図には次のように紹介されている(一部抜粋)。
「真言宗の名刹として鎌倉時代の承久3年(西暦1221年)松田郷を治めていた大場平太景義がこの地に招いた源延という僧侶が現在地に建立した(当時は西明寺)。その後文明元年(西暦1469年)となりの大井町金子に移転しており(現最明寺)、なぜ移転したかなど謎も多い。」



(池)


(護摩堂跡)


この史跡公園は、各種のサクラの花が見られる名所でもあるようだ。



(通行不能の案内)
始点と終点の「×」を見ると通れないように思えるが、すぐ脇の道をたどればなんとかなるだろうと判断。
とにかく進んでみることにした。


(上部から見下ろした砂地土壌の斜面)
縦横にある踏み跡はイノシシたちのけものみち。


(ここが土砂崩れ? なんなく脇を通過。)


山道らしくなってきた道を先に進む。



(彼方に開かれた山頂が見えるが、高松山?)


(同アップ。高松山山頂。)


(丹沢山塊:左は鍋割山、右は塔ノ岳。)


(蛭ヶ岳から右方向は丹沢山への稜線)


(蛭ヶ岳アップ)


(ここは右へ。というより直進方向にはチェーンが張られている。)


(イノシシたちの露天風呂=ぬた場)


苦しみもがいて転げまわるという「のたうちまわる」は、イノシシの「ぬたうつ」から転じたものだとされる。
彼らは泥んこまみれで快感にひたっても、われらの「のたうちまわる」は大変な状態。
わたしは、今年1月1日午前4時ころあまりの苦痛でそれこそ”のたうちまわった”。
そして救急車で搬送、即手術となったのだった。



(雨上がりは滑りやすそうに見えるが、砂地のため水はけが良いのかもしれない。)


途中、「ヒルに注意」という標識があったが、今の時期はまだ大丈夫だろう。

丹沢、特に東丹沢のエリアは、ヒル(蛭)が多いと言われている。
このヒル(山ヒル)には遭いたくない。
持ち歩くとしても防御用の食塩水は、かなり塩分濃度が高く(20%以上)なければならないとか。
だいたいこの虫、動物や人の吐く炭酸ガスや体温に反応して跳びついてくる。
しかも、その動きは結構早いらしい。

わが住居のある賃貸マンションの通路の腰壁の上端で、雨上がりに尺取り虫のように這っているのを見た。
わが吐く息を感じ取ったのか、ビ~ンと体を伸ばして立ち上がろうとしたりする。
気持ち悪!

※「ヤマビルにご注意を!」(神奈川県のホームページ) ⇒ こちら

ついでに、ダニ。
こちらは、動物の出す酪酸臭気に反応して跳びついてくる。
これまた厄介者!

民家の庭先のようなところに出て、右折。
一般道を横断。



(右折。)


(左の道に入る。)


(案内標識を確認。)


(足元に咲いていたオオイヌノフグリ)


舗装道路歩きが続いて尺里峠(第六天)に到着。
小高い位置に小社はあった。





(第六天)


ここのベンチに座って休憩。
そして間違ってしまった。
高松山へはこのまま直進だったが下の道を選択してしまった。
すぐに気が付いて戻ったが・・・。
この誤解は、峠の案内標柱に付いていた高松山の方角を示す案内板の向きから。
多分、多くは左の舗装道を行ってしまうだろうと思われる。



(第六天の後ろの高松山への道)


(富士見平からの遠望)


(こういう上りが続く。)


(ミツマタ群生地)




(馬の背からの塔ノ岳、鍋割山)


(馬の背からの丹沢山)


(山頂近くの上り)
この先の男坂は200段位の急登となる。


ところで、ここまでの道ですれ違ったのは4~5組。
皆さんはわたしとは反対の側から上ってきたようだ。
どちらが楽なのか?
わたしは、混まないうちにサクラ見物し、青空に映える富士山を眺めようとこちらのコースを選択したのだが・・・。
(確かにわが選択したコースでは、山頂までの距離が長く時間もかかる。)



(広い高松山山頂)


(富士山アップ)


(右のつぶれたM字のような山は愛鷹山、左は金時山)


富士山などを眺めながらゆっくりと昼食休憩をとった。



(振り返った山頂からの下りの道)


(急な階段状の道)


(ビリ堂:掲示されている由来によれば、「一番びり、最後にある観音堂のため」とのこと。)
馬頭観音は、文化10年(1813年)に尺里の人々が近村の人と協力して、村内安全、五穀豊穣を祈願して建立した12体のうちの8番目のものだという。


もくもくと下って舗装された道に出た。
山頂からはだれとも合わない。
まったくしずかな山道を一人下ってきた。



(ハイキングコースと標識がある。)


(送電線鉄塔脇を抜ける。)


(鉄塔下の伐採地)


(新東名高速道路の工事現場)
それを眺めながら、メッシュプレートの長い階段を下る。


そして、汗を拭きふき舗装道に出た。




後はテクテク高松山入口バス停を目指して歩く。

しかし、着いた時間が良くなかった。
予定より1時間近く前だった。
14時台の新松田駅行きの富士急モビリティバスは無い。

このまま1時間半もバス待ちするよりは30分かけてJR御殿場線の山北駅に行くことにした。
久しぶりの山歩き。
この最後の道は、やはり余分だった。

駅のホームでゆっくり時間を過ごし、15時15分発の電車に乗って松田駅へ。
そして、小田急線新松田駅から登戸、JR南武線に乗り換え帰宅した。

今日のコース


(ゴールの高松山入口バス停からJR御殿場線の山北駅まで徒歩で移動)




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