薬莱山山頂にある神社に詣でて次に向かった先は、その里宮(大宮神社)。
先日、夜遅くまで飲み会に付き合っていただいた友人のご親戚とのこともあり、今回はぜひとも3つの社紋を撮影したかった。
▲後ろに見える山は薬莱山
この神社について、『仙台領の街道』(高倉淳著 無明舎出版)では、次のように紹介している。
“大宮寺ともいい仙台領北方に大きな勢力をもつ羽黒派の修験寺であった。薬莱神社は由緒の古い神社で社紋が三つある。一つは坂上田村麻呂に由来する「車前草紋(おおばこもん)」、大崎氏が朝廷から拝領した「五七桐」、そして伊達家の「竪引紋(たてひきもん)である。社門は三ツ脚門といわれる変わった門である。大宮寺と銀山温泉の間は一日行程で、行者や参詣者は大宮寺を発ち、銀山温泉に一泊して湯殿山に参詣した。その講集団の先頭には羽黒派修験の先達がおり、講の取りまとめや案内訳を引き受けていた。”
なお、社殿前にある石碑では、次のように紹介している。
(2010.9.17撮影)
まずは鳥居前で一礼。
※三ツ脚門(3本の柱)は、現在修築中。
▲修築中の門
▲修築前の門(2010.9.17撮影)・・・写真右側には柱が1本無い。
神社の方の了解を得て、社殿の屋根を見上げ、裏にも回って撮影。
▲写真中心部の棟木突端にある五七桐紋、右側は竪引紋
▲五七桐紋・・・大崎氏由来
▲竪引紋・・・伊達氏由来
※仙台市の紋章は、伊達家紋章の三ツ引両(竪引両)から考案されたもので、仙台市の「仙」の字を図案化している。この三ツ引両は、伊達家の始祖である朝宗が幕の紋横画徽章として、源頼朝から賜ったものを竪引両に改めて使うようになったと言われる。 伊達家では、この三ツ引両を「竹に雀」よりも古くから使ったようだ。(仙台市役所サイトから引用)
▲仙台市紋章
▲車前草紋・・・坂上田村麻呂由来
▲車前草紋のあるところ
大和朝廷による蝦夷征討、奥州探題だった大崎氏の繁栄と伊達氏による滅亡、そして伊達氏の治世など、この神社がたどった数奇な長い歴史は、興味を引いて止まない。
加えて、山歩きの好きな者にとって、銀山温泉までの街道=最上海道(軽井沢越え)は、これまた魅惑のコースでもある。
※ 最上海道(軽井沢越え)を歩いたときの様子 ⇒ こちら
先日、夜遅くまで飲み会に付き合っていただいた友人のご親戚とのこともあり、今回はぜひとも3つの社紋を撮影したかった。
▲後ろに見える山は薬莱山
この神社について、『仙台領の街道』(高倉淳著 無明舎出版)では、次のように紹介している。
“大宮寺ともいい仙台領北方に大きな勢力をもつ羽黒派の修験寺であった。薬莱神社は由緒の古い神社で社紋が三つある。一つは坂上田村麻呂に由来する「車前草紋(おおばこもん)」、大崎氏が朝廷から拝領した「五七桐」、そして伊達家の「竪引紋(たてひきもん)である。社門は三ツ脚門といわれる変わった門である。大宮寺と銀山温泉の間は一日行程で、行者や参詣者は大宮寺を発ち、銀山温泉に一泊して湯殿山に参詣した。その講集団の先頭には羽黒派修験の先達がおり、講の取りまとめや案内訳を引き受けていた。”
なお、社殿前にある石碑では、次のように紹介している。
(2010.9.17撮影)
まずは鳥居前で一礼。
※三ツ脚門(3本の柱)は、現在修築中。
▲修築中の門
▲修築前の門(2010.9.17撮影)・・・写真右側には柱が1本無い。
神社の方の了解を得て、社殿の屋根を見上げ、裏にも回って撮影。
▲写真中心部の棟木突端にある五七桐紋、右側は竪引紋
▲五七桐紋・・・大崎氏由来
▲竪引紋・・・伊達氏由来
※仙台市の紋章は、伊達家紋章の三ツ引両(竪引両)から考案されたもので、仙台市の「仙」の字を図案化している。この三ツ引両は、伊達家の始祖である朝宗が幕の紋横画徽章として、源頼朝から賜ったものを竪引両に改めて使うようになったと言われる。 伊達家では、この三ツ引両を「竹に雀」よりも古くから使ったようだ。(仙台市役所サイトから引用)
▲仙台市紋章
▲車前草紋・・・坂上田村麻呂由来
▲車前草紋のあるところ
大和朝廷による蝦夷征討、奥州探題だった大崎氏の繁栄と伊達氏による滅亡、そして伊達氏の治世など、この神社がたどった数奇な長い歴史は、興味を引いて止まない。
加えて、山歩きの好きな者にとって、銀山温泉までの街道=最上海道(軽井沢越え)は、これまた魅惑のコースでもある。
※ 最上海道(軽井沢越え)を歩いたときの様子 ⇒ こちら
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