2023.09.27(水)千葉県の鋸山ハイキングの続きです。
<コース>
日本寺境内にある山頂展望台・地獄のぞき~百尺観音~ラピュタの壁~(西口管理所)~十州一覧台~北口管理所(百尺観音)~金谷下山口(これから先は日本寺の境内外)~観月台道合流点~石切場跡(ラピュタの壁など)~東京湾を望む展望台~鋸山山頂~(車力道)~浜金谷駅
(山頂展望台からの地獄のぞきと眺望)
(山頂展望台から「東京湾を望む展望台」を見る)
(中央後方はボンヤリ見える横浜の街)
(地獄のぞき岩頭の背後)
(別な角度から見る地獄のぞき)
(まさに大岩壁回廊というべき百尺観音への道)
(百尺観音)
6年の歳月を費やして昭和41年5月に完成した大観音菩薩像。
発願の趣旨:①世界戦争戦死病没殉難者供養 ②近年激増する東京湾周辺の航海、航空、陸上交通犠牲者供養
(観音広場の隅にひっそり咲くヤマハッカ)
ひととき観音像を見上げて後、十州一覧台に行くため西口管理所に向かう。
この一覧台へは、管理所すぐ脇から階段状の道を上がる。
(途中、頭の上をクロスズメバチのようなものが飛び回っていて緊張した。)
このハチが最も活動する時期だからか。
そういえば薜籮洞(べきらどう)への入り口には、”スズメバチに注意”の標識もあった。
(十州一覧台)
(ロープウエイ山頂駅を見下ろす。)
(足元には小さなツルボの花)
(東京湾・浦賀水道と手前は金谷港)
(横浜のみなとみらい地区に目を凝らすも・・・。)
ここからは百尺観音まで戻り、北口管理所を抜けて境内外に出た。
(通称:ラピュタの壁)
垂直に切り立った岩壁があまりに高すぎて画像に収まりきらない。
(垂直面は96mあるとのこと。)
良質の石材を選んで切り出した後の光景に圧倒される。
さらに石切場への道を進む。
(台車の跡が残る石切場への道)
(分岐。左が関東ふれあいの道、右は東京湾を望む展望台への道)
右の道を選択してさらに奥へと進む。
トップ画像のような迫力ある光景が目に飛び込んでくる。
(石切場跡の大岩壁)
(巨大な石造り建築を想像させる石切場跡)
付近には当時の機材が野外展示されている。
さらに進むと傾斜のキツイ階段状の道になる。
少々息切れしながらもここは写真を撮らずに上がっていった。
(前方は鋸山山頂へ、右は東京湾を望む展望台への分岐)
(東京湾を望む展望台)
(展望台からの眺望、かなたには三浦半島)
(浦賀水道を見下ろす)
(手前から元名海水浴場、保田海水浴場、保田漁港、勝山漁港への眺望)
展望台では休憩することなく三角点のある鋸山山頂を目指した。
アップダウンが繰り返し出てきて少し難儀。
千葉テレビ中継所のあるところでは立入禁止のため迂回しなければならなくなっていて、「直進許可してよ!」と愚痴が出かかった。
(鋸山山頂)
脇の案内板には、標高329.5m 千葉県内で12番目の高さ、山全体が凝灰岩でできていることなどが記されている。
眺望は、画像の前方のみ。
ここでもスズメバチが頭上の木の葉の間を飛び回っていたので、休憩することなくすぐ退去。
黒っぽい服装をしていなくて良かったとつくづく思った。
後は来た道を戻る。
画像は、いずれも帰路に撮ったもの。
(立入禁止になっている千葉テレビ中継所)
道は、いったん下り、右側を迂回するようになっている。
(気持ちの良い尾根道)
(先ほどは下ってきたので今度は上り返さなけれならない。)
(同上)
(階段の道を滑らないように気を付けて下りる。)
当初は、観月台があることから関東ふれあいの道をたどって下山するつもりだったが、分岐まで同じ道を歩くのが嫌になり、車力道を選択した。
(これなら一筆がきとなる。)
(車力道わきに残る石材)
(台車のブレーキ跡が残る道)
(運び出しが主に女性の仕事で、日に3度も往復していたという。) ※朱線はわたしが付記した。
過酷な仕事に、苦労に満ちた人生を送ったわが父母たちの姿を重ねてしまった。
テクテク下ってきたらパトカーが通り過ぎていった。
(左が登山道。右はパトカーが行く。)
集落に入り、後は駅に急ぐ。
上手くすると3時の電車に間に合う。
道を間違えないように気を付けて、速足。
(無事に到着した浜金谷駅)
到着時間:15:00
木更津行は15:08発。
ホームに入り、ザックにカメラなどを入れているうちに電車が来てしまった。
※鋸山【千葉県】その1は ⇒ こちら
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