久しぶりに叔父を見舞いに栗原市栗駒まで行ってきた。もう一つの狙いは、運が良ければ前回撤退した櫃ヶ森(ひつがもり)に登ること。
▲櫃ヶ森
※ 前回の様子は ⇒ こちら
※ 山頂の様子(2014.04.20)は ⇒ こちら
仙台の我が家を出たのが遅かったので、櫃ヶ森のある文字地区に到着したのが午前10時半過ぎ。
しかし、深山牧場への道は除雪されず閉鎖。
先には進めない。
今回もあえなく撤退。
岩ヶ崎の町に出て、昼食。
今日は『狩人』の“クマそば”(1000円)。
熊の肉が見える。
かなり脂っこいスープ。
それに熱い。
▲クマそば
▲店内につるされた”べんけい”には沢山の”アユの串刺し”
▲狩人
花を買って、墓参り2か所。
(クリスマスにお墓参りとは・・・。それに、すぎもとまさと『吾亦紅』の唄を思い出してしまう。)
叔父を見舞った後そのまま仙台に帰る気になれず、栗駒小学校の裏にある判官森と弁慶森に登ることにした。
判官森(標高150m)は、平泉で自害した源義経の胴体が葬られた地と伝えられている(頭部は鎌倉に移送。)
弁慶森は、その先にあり、判官森よりも高い。
▲判官森と弁慶森(中央右の松の木のあるところが判官森、その左奥の松のところが弁慶森)
▲登り口
▲案内板
それこそ子供時代以来のことだから、ウン十年の年月が経つ。
その昔、けっこう難儀した記憶があるが、あっという間に頂上到着。
弁慶森への急な上りもなんなくパス。
▲判官森の頂上
▲弁慶森への上り
▲立枯れたアカマツの巨木
途中、カモシカに遭遇。
カメラを向けたら、すぐに斜面の陰に隠れてしまった。
残念。
▲弁慶森の頂上にある岩に残された足跡(野ウサギか?)
▲弁慶森からの眺望
▲見慣れた景色も美しい
▲空には月が
興味深いサイトです。
源義経公鎮魂碑建立について ⇒ こちら
宮城の判官森(伝源義経公胴塚) ⇒ こちら
▲櫃ヶ森
※ 前回の様子は ⇒ こちら
※ 山頂の様子(2014.04.20)は ⇒ こちら
仙台の我が家を出たのが遅かったので、櫃ヶ森のある文字地区に到着したのが午前10時半過ぎ。
しかし、深山牧場への道は除雪されず閉鎖。
先には進めない。
今回もあえなく撤退。
岩ヶ崎の町に出て、昼食。
今日は『狩人』の“クマそば”(1000円)。
熊の肉が見える。
かなり脂っこいスープ。
それに熱い。
▲クマそば
▲店内につるされた”べんけい”には沢山の”アユの串刺し”
▲狩人
花を買って、墓参り2か所。
(クリスマスにお墓参りとは・・・。それに、すぎもとまさと『吾亦紅』の唄を思い出してしまう。)
叔父を見舞った後そのまま仙台に帰る気になれず、栗駒小学校の裏にある判官森と弁慶森に登ることにした。
判官森(標高150m)は、平泉で自害した源義経の胴体が葬られた地と伝えられている(頭部は鎌倉に移送。)
弁慶森は、その先にあり、判官森よりも高い。
▲判官森と弁慶森(中央右の松の木のあるところが判官森、その左奥の松のところが弁慶森)
▲登り口
▲案内板
それこそ子供時代以来のことだから、ウン十年の年月が経つ。
その昔、けっこう難儀した記憶があるが、あっという間に頂上到着。
弁慶森への急な上りもなんなくパス。
▲判官森の頂上
▲弁慶森への上り
▲立枯れたアカマツの巨木
途中、カモシカに遭遇。
カメラを向けたら、すぐに斜面の陰に隠れてしまった。
残念。
▲弁慶森の頂上にある岩に残された足跡(野ウサギか?)
▲弁慶森からの眺望
▲見慣れた景色も美しい
▲空には月が
興味深いサイトです。
源義経公鎮魂碑建立について ⇒ こちら
宮城の判官森(伝源義経公胴塚) ⇒ こちら
機会があればぜひとも行ってみたいものです。
それと、噂のクマそばもね。
ハイ、そうなんです。栗駒には栗原寺など義経ゆかりの地が他にもあります。(松尾芭蕉が平泉から山形に向かうルートとして使った道もあります。)
それにしても、頭部と胴体が離れていたのではうかばれないだろうと鎌倉まで出かけ、合祀を執り行い、帰りは500km徒歩の旅を実行した知人(耕英にあるくりこま荘のご主人)は大したものです。栗駒小学校脇の農協倉庫には源義経公奥都城の石碑もおかれています。
クマそばは、ぜひご賞味くださいね。
義経伝説の一つですね。首塚は、藤沢の白旗神社にありますょ。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5853e2553f04df00655594edb2fa6f21
兄の頼朝との和解のために義経が「腰越状」をしたためたのが鎌倉の「満福寺」です。江の島が眺められます。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/053b31fca992e47bba3dc121a62707f3
わたしも両神社に詣でたいと思っています。
白旗神社の立て札にある栗駒町の御骸埋葬地が判官森であり、御骸と御首とを合わせる慰霊祭にはわが知人が墓土を入れた笈を背負い、白装束・徒歩で鎌倉まで往復しています。