なかなか眠りに入れないときに思い描く光景がある。
その光景にしだいに色が付き始めると眠りに落ちる。
「春の海 終日(ひねもす)のたり のたり哉」(与謝蕪村)の句にあるような海であってもダメだ。
やはり自分には、山の民の遺伝子が組み込まれているのだろうか。
(わが故郷は、奥羽山脈は栗駒山のふもと。)
(兜明神岳への草地のタンポポ) ※詳しくはこちら
(東吾妻山と一切経山の間にある鎌沼) ※詳しくはこちら
ひと月ほど前に古書店で『眠れぬ夜に読む本』(遠藤周作著)を目にした。
内容は多様で含蓄に富み、いっきに読み通すことができた。
この本からの連想で、『眠られぬ夜のために(第一部・第二部)』(ヒルティ著)も取り出し、開けてみた。
こちらは日記風なのだが、”ねばならない”といった箴言がこれでもかというほど続くので、いっそう眠れなくなると思い、読むのを投げ出した。
とはいえ、次のような文を目にし、少々安堵。
「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて添え与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」(マタイによる福音書6-33.34)
そういえば、わが大好きな歌の一つに『今日をこえて』(作詞・作曲:岡林信康)というのがある。
”くよくよするのは もうやめさ
今日は昨日をこえている
昨日に聞くのも もうやめさ
今日をこえた明日がある”
※以下、略。
その岡林さんは、確か牧師さんの子として生まれ育ったはず。
歌詞が聖書のことばを連想させるなあと思えてくる。
こうして今夜もまたなかなか眠れなくなっていく・・・。
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