旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

品井沼干拓に取り組んだ鎌田家三代、それを支えた人たち

2023-09-11 14:55:02 | 水の道逍遥

品井沼は、宮城・黒川・志田の三郡にまたがり、東西5.6キロメートル、南北3キロメートル、
周囲16.5キロメートル、面積約18平方キロメートルという仙台藩最大の沼であった。

品井沼の「品井」とは、アイヌ語で「大きな沢」を意味しており、「沼」とは「浅くて、泥土や水草
の多い地で、外から水をまねいたため池」のこと。

この沼には、吉田川、鶴田川、大迫川等が流入しており、沼尻は小川で鳴瀬川に通じていた。

この広大な沼地を干拓しようとする企ては、古くから何度となく試みられたが、もともと標高が
極めて低く、排水河川である鳴瀬川の水位に左右されて思うように排水されず、むしろ鳴瀬川
の洪水の逆流によって氾濫を繰り返していた。

「田にも畑にもしないぬま、馬鹿なキツネがかいこんと泣く」と嘲笑されながらも不屈の精神で干拓に取り組んだ鎌田家三代。
その精神はどこから生まれたのだろうか?
鎌田三之助翁には良き理解者・協力者がいたとのことだが、わたしには、鎌田家に婿入りした玄光(祖父)、三治(父)、三之助という三代を支えたそれぞれの妻の理解と協力がとてつもなく大きかったと思えてならなかった。
まさに妻三代の挑戦と言っても良いと。

 ※ わらじ村長 鎌田三之助 ⇒ こちら

こうしたことから、これまでの手持ちの資料を再読し、不明の部分は鎌田三之助記念展示室に問合せなどをして整理してみた。
先日、記念展示室にお礼の電話を入れたら、鹿島台歴史研究会の皆さんのご協力を得てのこととのこと。

かれこれ10年ほど前に、『不撓不屈ー品井沼干拓300年ー元禄先潜穴・明治潜穴・わらじ村長鎌田三之助』を取りまとめる際に、茂庭会長、鎌田家子孫の方はじめ研究会の皆さんとお会いしたことをとても懐かしく思い出される。
茂庭会長もご健在とのこと、これまたうれしい情報を得た。









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