しばらく前から気になっていた舟。貞山運河や北上運河を行き来していた舟とは、どういったものであったのか。
かつて、御舟入堀(砂押貞山運河)に沿った道路の護岸に描かれていた舟の絵を見たことがある。とても理解しやすい絵だ。場所は、多賀城市と七ヶ浜町をつなぐ橋の脇。
再確認のために現地に行き、撮影してきた。
この絵は、どういう考証を経て描かれたのか。これまた気になって仕方がない。ということで、だいぶ前に宮城県や多賀城市の担当課に問い合わせをしたが、今の担当の方々では分からないらしい。
しかし、その絵がきちんとした考証を経て、掲示されているのなら申し分ないが、想像のものでしかないのなら、それは問題。誤った認識を多年にわたり、大勢に植え付けてしまうからだ。
(多分、工事にあたった当時の方々は、しっかりと検討の上、描いたとは思うが・・・。)
ちなみに、貞山運河や北上運河を航行していたとされる『ひらた舟』とはどういうものか。わたしなりに調べているが、今なお知ることができないでいる。舟の呼び名は各地で違うらしい。
***
『昭和29年度 総合開発調査―北上特定地域北上川及北上・東名運河水運実態調査報告書(昭和30年3月)』によれば、石井閘門の通船の種類は、次のようになっている。
発動機船 :船長約10.0~13.0m 船幅2.7~3.5m
和船(平田船): 3.0~18.0m 1.2~5.0m
曳船 : 6.0~10.0m 1.67~3.0m
岩手県立博物館公式サイトでは
【ひらた舟(艜舟)】 長さ 10間(約18m) 中巾 2間半(約4.53m)
【おぐり舟(小繰舟)】長さ 9間(約16m) 中巾 6.5尺(約2.7m)
Goo辞書では
【ひらたふね(平田舟)】
吃水(きつすい)の浅い、細長い川舟。時代・地域により、大きさ・舟形もさまざまで、古く上代から江戸時代まで、各地の河川で貨客の輸送に使われた。ひらだぶね。
こちらは、盛岡と石巻を結ぶ北上川を航行していた『ひらた舟』。(出典:国土交通省 東北の川100選)
かつて、御舟入堀(砂押貞山運河)に沿った道路の護岸に描かれていた舟の絵を見たことがある。とても理解しやすい絵だ。場所は、多賀城市と七ヶ浜町をつなぐ橋の脇。
再確認のために現地に行き、撮影してきた。
この絵は、どういう考証を経て描かれたのか。これまた気になって仕方がない。ということで、だいぶ前に宮城県や多賀城市の担当課に問い合わせをしたが、今の担当の方々では分からないらしい。
しかし、その絵がきちんとした考証を経て、掲示されているのなら申し分ないが、想像のものでしかないのなら、それは問題。誤った認識を多年にわたり、大勢に植え付けてしまうからだ。
(多分、工事にあたった当時の方々は、しっかりと検討の上、描いたとは思うが・・・。)
ちなみに、貞山運河や北上運河を航行していたとされる『ひらた舟』とはどういうものか。わたしなりに調べているが、今なお知ることができないでいる。舟の呼び名は各地で違うらしい。
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『昭和29年度 総合開発調査―北上特定地域北上川及北上・東名運河水運実態調査報告書(昭和30年3月)』によれば、石井閘門の通船の種類は、次のようになっている。
発動機船 :船長約10.0~13.0m 船幅2.7~3.5m
和船(平田船): 3.0~18.0m 1.2~5.0m
曳船 : 6.0~10.0m 1.67~3.0m
岩手県立博物館公式サイトでは
【ひらた舟(艜舟)】 長さ 10間(約18m) 中巾 2間半(約4.53m)
【おぐり舟(小繰舟)】長さ 9間(約16m) 中巾 6.5尺(約2.7m)
Goo辞書では
【ひらたふね(平田舟)】
吃水(きつすい)の浅い、細長い川舟。時代・地域により、大きさ・舟形もさまざまで、古く上代から江戸時代まで、各地の河川で貨客の輸送に使われた。ひらだぶね。
こちらは、盛岡と石巻を結ぶ北上川を航行していた『ひらた舟』。(出典:国土交通省 東北の川100選)
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