▲高村山荘
3月の末に妻の郷里に行ったときのことである。
妻は久しぶりに会った両親との談笑に夢中。
こちらは暇な時間をもてあましていたことから、“ふきのとう”でも採りに行こうと思い立ち、一人で高村山荘の裏山に出かけることにした。
手にはナイフとビニール袋。
どう見たって暇人としか思えない出で立ち。
高村山荘前の駐車場に車を止め、土手などをキョロキョロ物色しながら歩いていた。
すると自転車に乗ったおじいさんが向こうからやってきて、すれちがいざまに言った言葉が「ありがとうございます!」だった。
これにはこちらがびっくり。
ただ頭を下げることしかできなかった。
高村光太郎は、太平洋戦争中に東京のアトリエを空襲で焼失し、宮沢賢治の勧めで、岩手の花巻へ疎開。亡くなるまでこの山荘で思索と創作の日々を過ごした。
山荘は約7.5坪のそれはそれは粗末な造り。
現在、山荘は套屋(とうおく)によって保護されているが、これは山荘が古くなったことから後に光太郎を敬慕する村人たちが一本一本木を持ち寄って建てたものだという。
先のおじいさんの花巻弁イントネーションを持った「ありがとうございます!」は、山荘に来てもらってありがたい、そんな素直な思いからのものであり、高村光太郎を敬慕してやまない地域の人びとの心を象徴した言葉であったろう。
こうした心を持ち続けている人がいるということは何とすばらしいことか。
もう、かれこれ20年ほど前の出来事であるが、この思い出を、いろいろな場面で何度となく繰り返し、私は話している。
・写真は、花巻市公式ウエブサイト『観光情報』~観光情報ライブラリーからのもの。
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